2011年7月9日土曜日

パターン化した信仰

いつもアクセスしているブログ(ブラザレンについての諸断章)がある。ブラザレンに関することを書かれて、難しい時もあるがそんな時は斜め読みになるが色々示唆に富んだことを書かれていてとても参考になる。

最近は「集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙」を翻訳して載せている。わたしはブラサレンでも割とオープンなところで育った(いまだに育ってない)が指摘されていることが良く分かる。わたしも同じような疑問を持ちながら過してきたから共感するとともに自分の中にある信仰がまさに彼女が指摘している信仰であることに気づかされた。パターン化した信仰はハウツー的で余り考えないで済むから楽でいい。思考が硬直化しているのが良く分かる。本来の「いのち」がないのかなと思ってしまう。個人も集会も教会も「いのち」を中心に動いているかどうかにかかっているのかな。大勢の中にいると分からないが数人の集まりの中にいるとそれがよくわかる。読みながら過去形であり、また現在進行形の出来事でもあるので考えさせられる。欲を言えば、「いのち」も汲みとめるといいのだが?それはお前の問題と言われそー。