2011年7月22日金曜日

深く考えないで

前に隠居屋のもみじの木を切ったことを書いた。先日葬式があって、そのとき義姉が隣の畑の持ち主から木を切ってと言われたらしい。根が張り、葉が落ちるからだろう。それで昨日一本を切りに行った。畑添えに三本直径15センチと30センチの杉の木と12,3センチのもみじがある。大きい杉は手に負いないので、小さいほうを切っていった。切込みを庭のほうにして切っていったら、そのうちメリメリといって屋根のほうに倒れていった。切込みを入れたのにと思ったが考えたら庭側は枯れて葉が少ない。重心は重いほうに倒れるのが当たり前なのに単純に切り込み側にと思っていた。それと倒れる側に紐で引っ張るようにしたがその紐が紅白のビニール紐、持つ訳がない。

幸い屋根に落ちたから良かったが、畑に落ちたら大変だった。それでも小枝といっても直径5,6センチはある。その一本が切ったとき落ちて3,4本の豆の木をつぶしてしまった。もみじの時は葉が軽かったが杉は重い。これも誤算というより知識がないのであるからしょうがない。たかが直径15センチの木であるがびくともしない。運動不足と年の所為で心臓はゆとりがない。思案しながらお茶を一口のみ、とりあえず軽くするため、手の届く枝を切ることにした。5、6本切っただろうか大分先のほうがすっきりした。それでもゆすっても微動するのみ、無意味と思いながらもビニール紐を掛けて帰ってきた。帰り際、畑の持ち主に謝りに行ったら、「イーイー」と言ってくれてなすときゅうりをくれて、今日、ロープを買ってきて、倒れないように張ってきた。日曜日に梯子を借りて切ってくる。それで引っ張れば庭先に落ちてくると思う。もみじは細いので出来そうだから後日、大きい木のはシルバーに頼もうとしたら、年寄りだから出来るかどうかわからないから見積もりをと言われ頼むつもりである。

いつも思うことだか物事を深く考えない。そしてことの大きさにパニックになる。いい加減なのか深く考えられないのか両方か定かではないが、何とかなる主義で今まで来ていたのがこういうところに出てしまう。そしていつも頭に浮かぶのはサムソンの失敗である。自分から力が抜けているのにそれを知らないで、また人暴れと思って出掛けるが捕まり、目をえぐられてしまう。思慮のない姿がダブル。そんな者が逆に、ギリギリのところで守られていることである。もしかしたら大変のことに、畑に落ちるのみならず木の落ち方によっては体がどうなったか分からない。それがなんでもない、守られているなぁといつも思う。こんなことがあるとつい物事を甘く考えてしまう。失敗から学ぶのはわたしだけではないだろう。