2011年9月19日月曜日

敬老の日

今までは敬老の日は祝日の一つに過ぎなかった。リタイアしてからは「毎日が日曜日」のようであるからその思いも薄らいでいる。先日年金基金から小さな箱のようなものが入った封筒が届いた。季節はずれの年金からの手紙は、年金額の変更かと少し疑心暗鬼?になる。今回は物のようだからそれはないかと安心しながら、それでもなんだろうと思って開封したら、携帯の拡大鏡だった。

コタツのテーブルには以前に東京の杉並区の施設の管理をやっていた時、区が敬老の日に配った残りの物か、区のマークが入った拡大鏡があったのを使っていた。それをそのまま使っている。それとリュックの中に一つ、もう一つプラスチックのものを使っているがあまり使い勝手がよくないのでもう一つほしいなぁと思っていた。そんな時に頂いて喜んでいる。早速かばんに入れて持ち歩いている。

こういう類の贈り物は、あんまり役立つことはなかった。その辺にほっとかれて、最終的にはゴミ箱へといくというのパターンだったが今回は有り難いなぁと思った。ただ、寿でおめでとうございますには、嬉しいというより、俺もそんな年になったのか、年金支給する側としたら長生きも程ほどにとの思いも無きにしも非ずだろうな、なんて思っている。でも素直に感謝し、もう少し頑張りますからよろしくとの思いもある。

正直、親の寿命を縮めたと思っている親不孝者だったから、父が亡くなった70以上はとの思いはあった。既に一才になろうとしている。こんなに長生きするとは思っていなかったから素直に神に感謝している。早くとの思いはないでもないが、余生は主のためにとの思いはあっても、手には何もない。ただ頂くだけの手しか持っていない。それでいいのだろうかと思うが、否それしかないのである。主よこれからもよろしく。