2011年9月10日土曜日

死の町発言に思う

新大臣の失言は毎度のことであるから今回も無しなんてことはないと思っていたが早速出ている。失言なのか本音なのかわからないし、言葉で失言しなくとも原発の問題を見れば、その災厄はその比にもならない。それでいて、誰も責任を取らない。否取れないのであると思っている。

あの言葉を擁護するつもりはないが、家があっても人の住んでいない緑に包まれた風景は何なのだろうか。そこに生き物は生息していることはわかるが人が住めない町や村は「生きている」と言えるのだろうか。人が住めない所は死の町、村と言われてもおかしくないのではないだろうか。子々孫々まで甚大な被害を与える原発事故、それでも必要だ安全だと言えるのだろうか。ここに何が大切であるかの価値観が問われる。あくまでも自分を是とする生き方、組織を守る生き方、司法に問われないかもしれないが、繰り返される犯罪は、これからも続くだろう。資質が問われるのではなく価値観が問われているのであると思っている。