2011年10月22日土曜日

うれしい便り 続き

いつもは午前中だけのちょっとさびしい集会だが、この日曜日はM兄ファミリーに、午後からO兄姉と姉妹の友人のAさんが加わって賑やかな集会になった。Aさんは、M兄姉とは面識があったが当集会は始めて、O兄のあかし、M兄メッセージに、その後の交わりと最初は心配したが和やかに過ごす事ができて良かった。

O姉からのメールで、
「久しぶりにM家族に会えたこと、主人の話も含め、感動するよい話を聞けたと喜んでいました。
 (下記本人のメールより) 
・・・・・私は、神様はいるんだと思っています。
そんなレベルの私が聖書の勉強の会に気軽に参加していいのか?
正直悩みます。・・・・・・」
 
聖書を知らない方に聖書を伝える集まりだから、まず聞いてくださることだけでいいのに、真面目な方なのなだぁと思った。それと同時に、「食いしんぼうの大酒飲み」と言われた方がいかに格式に拘っていないかを知ると、部屋を借りている集会でもそんな風に感じるのかと思うと、一般の人には教会は敷居が高いのだろうなと思わされた。

「信じるのならば、聖書の神を信じる根拠を自分でひとつひとつ確認し、理解し、全て勉強してわかったうえでなければいけないと思っています」とあったが、自分から求めて踏み出すところにまでは行ってないとのことだった。真面目に聞いてくださるだけでも感謝であり、O姉妹を通して、気長に聖書にふれ、イエス・キリストを知ってほしい。クリスマスにも誘うとのこと、これからを期待したい。

 聖書の知識のない人に聖書の話をする事は難しい。話す事自体が苦手であるからなおの事である。罪だ、死だ、滅びだ、救いだと話す事は簡単(私に難しいが)でも、こちらサイドで空回りしていないだろうかといつも思う。神学的なものは勿論の事、単純な福音でもそんなことを考えると足踏みしているのだ現実である。身辺に色々あって、ようやく落ち着いて聖書の話を聞きに来られた。個人伝道と言うのは苦手だが、12月に来られたら少し話ができたらいいなと思っている。