2011年12月10日土曜日

聖書を手にする幸い

先日、諏訪大社下社秋宮周辺の歴史と散策の集まりがあり、それに参加した。説明によると大社や社務所、境内あたりは変わらないが、あとはもう宅地開発?によってか住宅が建っていて、崖の部分とか家が建たないところに、かすかにその面影を残すのみである。跡、址ばかりだが当時のままに残っていたら壮大な感じになるのだろうなと思った。それと神社の中にお寺の跡があり、話によると当時は付属の寺院がたくさんあったそうだ。神社とお寺?と思ったが長い歴史の中で宗教の混交が起ったのかなと思う。説明されていたが良く聞こえなかった。諏訪大社上社は下社と大部違うような気がする。上社は実にシンプルでユダヤ教の幕屋や神殿を関連つけているような建物や配置がある。それに裏山にと言っても大分離れているが守屋山がある。ここは元々は岡谷の橋原にある洩矢(モリヤ)神社が引っ越したと言われている。そして上社から下社へと分かれたのであろう。時代の流れの中で時に迎合して栄えたものとそうでないものをこの二つの神社で思った。

キリスト教も長い歴史の中で、大分変わったのではないかなと思う。カトリックをはじめ何々正教といわれる類のものはそうだろう。本来ないものを付け加え、あったものを捨ててしまった。具体的にはどれと言われると答えに窮するがあるように思う。隠れキリシタンはその際たるものであろう。キリスト教のキの字も見出せない姿を見ると以下に迫害が激しく、そしてそれにどのように耐えて受け継いで行ったのかを思うと先人たちのしたたかさを思う。御神体が秤だったりするものもあると聞く、正統キリスト者は一蹴するであろうが神は彼らをどのように扱うのだろうか。天国に行ったときの楽しみでもある。

そのようなことを考えていると二千年、四千年と変わらない(誤訳はあるだろうが)聖書を今手にしているということは何と大きな恵みだろうか。いかんせん難しいことはわからない。しかし、新聞は中学生でも読めるように書いてあると聞く、聖書は小学生でも読めるように書いていると思うからその程度の知識で十分であるということだ。なら何とかついていけそう。難しい部分は学者や牧師に任せて解き明かしてもらえばいい。それでも原語で聖書を理解できたら更に聖書に対して興味が湧くだろうな、しかし聖書の知識が即いのちにならないし力にならない。「イエスは主である」と頭で理解できても身体で受け止めていないような気がする。信仰の薄き者よと言われそう。いや言われている。