2011年12月15日木曜日

ひと足早いクリスマス

サルが集っている岡谷集会は、月一で来てくださる三綿さんに合わせて、11日にひと足早いクリスマス集会を行った。いつも借りているところから場所を移しマリオという結婚式場を借りての集会となった。彼の企画立案で、こちらは場所の確保のみ、今回は経堂の婦人会のクリスマスと同じ形でやってくれる。聖書のメッセージとピアノの演奏、その中に讃美も加わって、いつもは一時間半、始まる時間は同じでも昼食を挟んで集会は5時まで続いた。楽しく、個々に交わりながら和やかなうちに過ごす事ができて感謝である。初めて来られた方から時折来られる方、三綿さんに合わせていつも来てくださる方と色々で、ノンクリスチャンは7人ばかり。市民新聞にも出したがこれは空振り、今は家族や友人、知人のつながりが多いような気がする。普段は10人に一人か二人欠けて、あっという間に終わる小さな集まりだが夕方まで賑やかな集会となった。

メッセージは「聖書が語るクリスマス」というテーマで、副題は?クリスマスはニュースである。
1、あなたの「創造主」からの「真実なニュース」である。
2、「罪からの救い」という「喜びのニュース」である。
3、「犠牲は神が払われた」という「愛のニュース」である。
この三つのポイントから私たちの現実の生活の中で出てくる問題の原因がどこにあるのかをわかりやすく話されて、そこから罪の問題、神の愛と人間の愛の違いなどを話してくださった。
一人の方は自分のことのように感じて、涙が出てきてしまったといっていたそうである。夜だったらぼろぼろ涙を流したかもしれないといっていたそうだ。彼が来る時にまた聞いてほしい。福音とはこういうものであるのかもしれない。人の苦悩の琴線に触れるのである。

ピアノ演奏もグランドピアノで、それもスタインウェイである。音痴のサルでもアップとグランドの違いがわかるほど音はいい。音楽には疎いが最初はバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」もうポピュラーになっている。音楽は人の心を和ませてくれる。久しぶりにそのことを実感させてくれた。メドレーなどを入れたら10曲以上ではないだろうか。演奏してくださった今西さんは今も家で子供さんたちにピアノを教えている。リタイアしたご主人と共に来てださり、彼が解説をしてくださった。元々は奥さんのご両親と親しかった。その関係で、彼らの結婚の時に電化製品を千葉の市原まで届けた縁なのである。ご両親は召され、店もなくなり、遠くでもあるのでそれで切れたかなと思ったら20年近く経って、三綿さんのお陰でまた繋がるようになった。今回で3回目である。遠い千葉からだがまたとおねだりしている。

今回は竹田由季子さんが讃美してくださり、経堂では何度も聞いているので、楽しみだった。久しぶりに聞いたら、声量があり、高い声の伸びがあるのに驚く、尋ねたらPTA のコーラスグループの指導をしてくださった方が発声法とかの基本を教えてくださり、それを意識して歌っているといわれて納得する。澄んだ伸びやかな声は、賛美歌に相応しい。またいつか聞きたいものである。

今回の一連の流れの中で、どういうわけか第一コリント12章のキリストのからだなる教会を思い出した。あるいは家庭集会の延長の認識の強い集まりから、個々の信者の働きが少し明確になってきたと思ったのだろうか。これからどうなるか。いつも借りている集会から自前の集会をと夫婦で願っている。誰にも経済的ゆとりはない。しかし、過去から現在を見、そして未来を予測するなら信仰はいらない。信仰は予測外の出来事、「これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。』と言った。わたしは汚れたものです。」luke: 5: 8  こんな告白をしてみたいものである。信仰の薄き者であるが。