2011年12月23日金曜日

聖書雑感

政治に特別関心あるわけではないが最近の政治の流れをみていてわからないことだらけだ。政治の流れを変えてほしいとの願いで民主党に投票したがこんな結果になるとは思わなかった。期待したほうがおかしいのかもしれない。考えてみればこれが当然の結果かもしれないと思うようにはなっている。政治家に失望しているが希望を失っているわけではない。それは失望したらその先はないからである。ただそれだけだが。

わからないのは小沢さんの選挙区である岩手県が震災や津波で被害を被っているのに、政治家として何をしているのだろうかそれが見えない。しかし、ただそれだけなのかもしれない。ならさびしいなと思う。師である田中角栄は手法は問題あっても信念があったように思う。彼は抜け殻を踏襲して中身がないようにも見える。民主党のトップたちのていたらくがこんな形になったのかもしれない。

こんな政治の流れを見ていると、今まで聖書の列王、歴代、そして預言書の中に出てくる王たちの姿ををみて理解できなかったが、今はよく理解できる。あの世界を今、日本で現実に行われているような気がする。机上の空論のようなマニフェストは論外としても、原発の対応を見ていると、これだけの現実を目の前に提示されてもそれを変える見識がない。色々なことが明らかにされてもその先が見えていない。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」箴言 29:18、幻を失ったら、羅針盤を失った船のようだ。そんな事になってはいけない。そして「主を恐れることは知識の初めである。箴言1:7とあるが神を恐れなければこうなる恐れがある。今の現実は神の警告であり、哀れみであるような気がする。このことに気づいてほしいと思うのはわたしひとりか、そんな事はない。