2012年3月12日月曜日

1月、2月、3月と

10日の土曜日につどいの会のOさんからMさんが亡くなられたことでお電話がった。実践塾で同じ1班でといっても腰痛で大分休んでいた時に二人入っていたひとりで二人は他の塾生とシニアでいっしょだったようだ。優しくユーモアのある方で、シニア卒でもなく、よそ者であるサルに何かと声をかけてくれた。声をかけるのはサルだけではなくそのような方のようである。乳がんで手術したことは人づてに聞いており、日赤で術後者たちの集まりに集っていたようだった。一時不安そうな顔されていたことをふっと思い出す。それでも一月に会ったときはお元気そうで、お互い声を掛け合っていたのに正直驚いた。少し前にあった方も「元気」と声をかけたときは「まぁまぁ」といっていたその二日後に入院されて間もなく亡くなられる。12日の日曜日に会として弔問に行かれるとの事だったが丁度集会もあり、それに司会でもあったので行けないことを告げた。ちょっと顔を出すだけでとの事だったので、司会を他の人に頼んで行こうと決めてその旨を再度電話をして伝える。

つどいの会とシニアの同じ班の方々総勢20名ばかりになったが平服で手ぶらでとの事だったのでそのようにしたら喪服の方も居り、なおかつ香典(お見舞え)持参の方が結構いる。持って行かなかった方はどうも本葬に呼ばれている方なのかなと後で思った。普段は目に見えるような化粧はしていなかったが亡き顔を見たら濃い口紅にアイシャドーには驚いた。これが死に化粧というのを帰ってきて家内に教えられる。でも普段の顔の方が素敵だと思ったし、ちょっと異常な感じを受けた。それにお経を会の一人の方が唱えたのには驚いた。誰かも唱和していた。仏教も色々である。彼女へのお礼を加えてご主人と少し話をする。

1月にN姉、2月にはIさんがN姉のときは老衰だったからついにとの思いがあり、Iさんのときには朝に電話があってその日の夜に亡くなられた。丁度日曜日でもあったのでまごまごしてしまったが何が優先すべきを考えさせられた出来事だった。身近に覚えている人が亡くなるので、3月には誰か亡くなるのではないかなと不安になっていたことを思い出して、それが的中してショックである。4月も?