2012年4月7日土曜日

イースター

HPでイスラエル大使館のカレンダーを見たら7日から14日までペサハ(過越祭)である。正確にいうと6日の日没から14日の日没前までになるのかな?イースターは8日、イースターの決め方も「春分の日の後の最初の満月からの日曜日」だそうだ。念のため何時が満月か東京天文台のHPを見たら7日になっていた。

イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、信仰を持つ前も後も何となく好きではなかった。それにはこんな理由もある。「クリスマスの起源として、ローマの農耕神サトゥルヌスのための祝祭(サートゥルナーリア)を挙げる説がある。また、ローマ帝国時代のミトラ教の信者は、冬至に太陽神の誕生を大々的に祝ったとされ、この習慣をキリスト教が吸収したともいわれる。エホバの証人は、クリスマスの起源がこのような古代の異教の祭りにあることを主な理由として、クリスマスを祝わない宗派として知られている。」(ウィキペディアより)イースターエッグとか子供たちへの伝道にはいいのかもしれないがどこか異教的なような気がする。逆手にとって宣教のためなら何でもかんでも利用するという手も無いことはないだろうなと思う。サルは骨がないから正統は難しい。やれば異教的か硬直化したものになるだろう。硬直化は今までの信仰そのものだから特別のものではない。異教的にやるほどの勇気もない。その反動でもある。エホバの証人がこんなことで祝わないなんて初めて知った。これに関しては正統的教会は異端的であるのかなぁなんて考えている。当然のように祝っているけどその起源までさかのぼるとどうなんだろうなと思う。逆に諸集会は「ブラザレンの諸断章」さんのブログを読むまでも無く、聖書に立脚していると自負する割には徹底していないのかなと思ったりもする。表面的知識で判断して申し訳ないが批判としてではなく。

その点、イースターはイエス様と弟子たちとの最後の食事は過ぎ越しの食事であり、その後弟子たちの足を洗い、ユダの裏切りで逮捕される。翌日尋問され、十字架を負わされて、十字架の死と埋葬がある。復活は週の初めとあるから日曜日である。イースターは大体ペサハの期間中にある(09年から13年をみて)。十字架の前での弟子たちの足を洗うことや、十字架上での短い言葉の中にいくつかのことが示唆している(どこかに泉が湧くように)。

これからのイエス様も素晴らしいけどすべての集大成?のような十字架と復活のほうが好きである。好みの問題ではないがより身近に感じる。『ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい。」と言われた。』(john: 1:43)。キリスト者は主体的に生きているようで、実は主に見つけられ、従う者とされた。従うとは自己放棄なんだけど、自分がしっかり生きているのがサルなのである。こんな主に応答できるキリスト者でありたい。(無理だろうな)


1cor 15: 3-5
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。