2012年4月29日日曜日

ある言葉に

ネットで検索していてこのような言葉を見つけた。

「行動なきビジョンは夢にすぎない
ビジョンなき行動は時間の無駄
行動を伴うビジョンこそ世界を変えることができる」
ジョェル・アーサー・パーカー

「行動なきビジョンは夢にすぎない」の言葉を読んで、自分にあてはなるような気がしてはっとした。
あれこれと思い巡らし、能書きは言うがいざ行動となると腰が重い。もう暖かくなったがまだコタツを使っているのだからというのではないが「猫はコタツで丸くなる」派なのである。そして何かあるとペテロ現象になってパニクル。(それから、ふたりがイエスと別れようとしたとき、ペテロがイエスに言った。「先生。ここにいることは、すばらしいことです。私たちが三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。)luke 9:33。まさにビジョンなき行動を起こしてしまう。物事を変え、人を変えるには自ら変わらないと駄目だなぁと思いながらもズルズルといたずらに時を過ごしてしまう。


高橋三郎先生の「十字架のことば」誌の中でボンヘッファーの言葉としてこのようなことが書かれてあった。
キリスト者の交わりについて
「キリスト者の交わりについて自分の夢を愛するものは、個人的には、正直で真面目で、犠牲的に生きようとしているかも知れぬけれども、結局のところ、キリスト者の交わりの破壊者になる。

「幻想あるいは理想は人を高慢にし、要求がましくするからだ。彼はキリスト者の交わりの中へ、要求する者として入り、自分自身の律法を立て、それによって兄弟を裁く。

彼は厳しい叱責者のように、冷然と兄弟の群れの中で存在する。そして彼は兄弟を非難するものとなり、ついには自暴自棄的な自己批判者となる。」

2、30年も前のことだが自戒の言葉としてメモってある。