2012年7月3日火曜日

幻がなければ、民はほしいままにふるまう

題は聖書の箴言 29章18節前半のことばである。
政治にそれほど関心があるわけではないが昨今の政治の動きを見ていると冒頭の箴言の言葉を思い出しす。時とともにその要請は変わってくるからマニフェスト云々は問うつもりはない。変わっていく中でそこに丁寧な説明が必要ではないだろうか。消費税が上がることは生活に即響くから大変であるが多くの国民は理解を示していると思う。借金を作り続けた自民党はそのことに沈黙しているがこのことについてどういう考えを持っているのだろうか言い訳も聞かないように思うが。そして、昔の民主党のように揚げ足ばかりを取っている。自分たちの政策をなぜ提示していかないのか。一連の出来事を見ているとこの国をどのように導いていくのかそのビジョンを持っているのか疑問に思う。ビジョンを持った政治家や官僚が必ずいると思っている。いつか表に出てくることを期待したい。

アメリカの政治家は演説がうまい。若い時から自分の意見を発表する機会があり、またそのためにどうしたら聞く人たちにアッピールできるかを訓練させられているようである。日本では「阿吽の呼吸」が大切で、そんな機会も少なく、そのような土壌も無いのかもしれない。しかし、いつか党首討論なんかで自説を賛成反対は別にしても相手も聴衆もうなるようなそんな討論を聞きたいものである。

「大事の前の小事」とか「小事は大事」と言う言葉もあるように小さいことの大切にしてその積み重ねで大きなことをしてほしい。どうも大局云々で小事がスポイルされているような気がする。このことはある意味で政治家なり官僚は国民を国民として見ていない証左ではなかろうかと思っている。国益だけ、或いは自分たちの利益だけを求めていると国は滅びていく、ビジョンを持ってこの国を思うと同時に近隣諸国に思いを向けて行動してほしいものだ。国の正義は国益だけを求めて滅びに向かう。既に滅んだり滅びつつある国があるようだが。