2012年9月28日金曜日

ペトロ岐部

遠藤周作著「銃と十字架」を読み、松永伍一著「ペトロ岐部」を今読み終えた。松永氏は最後にこのように記している。

[ヨハネ伝十二章に言う「誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし」(24節)を、わが身の営みにしようと魂を浄化し、日本式十字架にかけられて死んだ時、キリスト教の側から見れば「イエズス会士の輝ける殉教」の一例に過ぎないとしても、わが国にとっては十七世紀に世界を歩いてユダヤ教徒、イスラム教徒などの生態をも知った最大の国際人を、鎖国の徹底化と引き換えに殺した不幸な事件ともなった。そればかりか、日本史は鎖国の要因をつくった人物たちの名誉を封じ込めてきたから、キリスト教信仰の自由が保障された後も、ペトロ岐部の流した殉教の血のなかに「一粒の麦」が宿っていることに誰も気づかずにきた。歴史はおのれの活性化のために無意味な血を流させれるものだが、そのことに無頓着であるならば、罪は歴史に負わせるのではなくわれわれが負うとしかるべきであろう。ペテロ岐部もその罪の自覚の上に立ちあらわれる「日本人の一典型」である。宗派の問題はそこで超えられるはずである。]

と結んでいる。

一人の殉教者の姿を通して時代の流れを見ていくと、純粋に信仰に生きていく者と単純ではないが布教を通して自己の利潤を得ようとする者の二つの姿を見る。そして関わってくる為政者の姿が浮き彫りにされる。同じキリスト者でもキリシタン、カトリックと距離を置いて見ていたが読みながら良し悪しは別にして同じ信仰者としての視点で見、また松永氏の言葉で日本人という視点からも見ることができた。それでもこの困難と受難の中で信仰を捨てることなく突き進んで行く姿は想像を超えている。何が彼を動かしているのだろうか。同胞とかキリストとかに対する「愛」と一言で言えない何かがありそうな気がする。キリストの死が裁いた人たちを逆に裁いているようにペトロ岐部の死は日本を日本人を裁いているような気がする。或いは為政者をか。

なたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。matt: 7: 2

曲がることのない一本の道を歩んでいくと人を右と左に分けていく、言葉は遊ぶことが出来るがこれは「いのち」がかかっている。ペトロ岐部はその道を歩まれた。お恥ずかしいがサルは歩めない。