2012年9月24日月曜日

長野市に

私たちの集会は午前中で終わる。松本や佐久にある集会は逆に午後から始めている。多分遠くから来られる方がいるからだろう。わが集会は逆で車で十分とか十五分で来られる。午後の時間は空けておくというか借りる単位が午前、午後、夜間となっているので昼までなのである。月に一回は午後まで借りているが。

午後は空いているので長野にある集会の特別セミナーなるものに行ってきた。「日本宣教の光と影」という題で、「キリシタンの時代の宣教」、「明治期のプロテスタントの宣教」、「昭和期のキリスト教(主に戦前)」、「日本のキリスト教徒と海外宣教」、「今日の日本の教会の現状と展望」、そして質疑応答とあった。最後の二つしか聞けなかったが前に話されているのも興味あるのでCDを注文してきた。これらの知識は断片的なのでサルも然りだが集会の人にも聞いてほしかったこともある。届くのが楽しみである。原稿を読むようによどみなく話されていたから、一回1時間半X5=7時間半か長いなぁ。

ここの集会のセミナーは他ではやらないことをやろうとしているのがモットーらしい。だから集会に関係なく、キリスト者でお医者さんとかキリスト教関係の専門家の方を呼んでいるようだ。今回の
講師は新潟聖書学院院長の中村敏先生、新発田市の生まれだというので興味もあって行ったことでもある。休憩で少し話せたが同じ市の出身といっても先生は旧市内出身、サルは町村合併で市になった。多分そうだろうなと思っていたことが当たっていた。この違いは大きい、高校生で信仰を持ち、聖書神学舎、トリニティーと勉強されている。著作も5冊、「マンガ日本のキリスト教史」が出版されるそうだがその監修もされている。キリスト教の教師であり、牧師でもあるからオールマイテイーであろうがどちらかというとキリスト教宣教史が専門なのかな。当然とはいえ豊かな知識に驚かされる。年齢は9歳違うがこの年では似たような者、出身の市も同じ、同じなのはここまでで、知識と信仰は・・・。ただ聞くだけの者だが(右から左と流れるが最近はかすっていくことが多々)知らないことを知れることは感謝である。先生、長野集会の愛兄姉様ありがとうございました。

新潟聖書学院と云われていたので新潟市にあるのかなと思っていたら柏崎聖書学院が改名したそうだ。車だったら長野から岡谷と同じくらいの距離である。またいつかメッセージや話す機会があったらいいなと思った。越前、越中、越後はキリスト教の信者が他県に比べて少ないそうだ。田舎ではキリスト教のキの字も知らなかった。それでも中学生の時、ラジオを組み立てるようになって、新潟市から流れる放送の中に「ルーテルアワー」があった。ドラマ形式で内容が余韻の残るいい印象を受けていたことだけは記憶にある。これがキリスト教かなというメージが残っていたのかもしれない。プレゼントの請求で毎回繰り返される「千代田区富士見町、富士の見える町、何丁目何番地、ルーテルアワー何係り」という台詞はよく覚えている。車で仕事をするようになって、都内を走っている中で、中央線の飯田橋駅の近くを通った時にルーテルの看板を見てここだったのかと田舎でのラジオ放送の出来事を思い出した記憶がある。サンタクロースもクリスマスも関係ない少年期であったからキリスト教は新鮮だったのかもしれない。しかし「あなたは罪人です」は否定しないが強烈だった。今覚えば聖書のメッセージはどこか否定的であるような気がする。今もそのトラウマに囚われている。



「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」mark 1:15 なのである。


長野市は月の初めにも行って、今月は二回目、百キロは遠い。軽井沢八十キロ、飯田もそのくらいである。どこかに行くには天竜川沿えを除いてすべて峠越え、信州は広くて高い。標高の高さは隣の隣の茅野市が日本一で岡谷市は二番目か三番目、寒いわけである。市の講演会で東京から来たある講師は「長野は山と高原だけ」と云われた。頷ける。信州人は新潟平野の広々とした稲田を見て驚かれる。サルに当たり前の光景であるが。