2012年10月3日水曜日

富士見町散策

先日シニアの方々と富士見町を散策した。といっても午前中座禅、午後に富士見公園の歌碑と近くの白林荘見学、そして八ヶ岳の麓にある鉢巻道路にまで行ってカントリーキッチンでお茶とケーキでくつろぎ、そこで解散だけのものであったがそれでも疲れた。

座禅は山梨県境に近い三光寺というお寺でやったが今年で二回目である。仏教のことは良くわからないが禅宗の曹洞宗で座禅堂?がある。田舎も曹洞宗で母親が農閑期かで近所のおばさんたちと永平寺に行ったことを覚えている。何で行ったかわからないが。伯父さんと伯母さんはは鶴見の総持寺にお墓がある。少し離れたところに石原裕次郎の墓があるそうだ。伯父さんの法事の時に裕次郎の何回忌かの記念の催しがあるそうでその準備で大勢の人が来ていたのを思い出した。

座禅はただ座っていればいいくらいに考えていたが色々シキタリがあるのに驚く、座布を三本の指で支え持つ、薬指と小指は汚れているからだめなのだそうだ。薬指がと思った。堂に入る時は左側の左足から、出る時は右足から出る。足を組むのも作法があり、手の位置も同じく、右手が指一本先において輪を作る。座る時はまず合唱、そして向きを変えて合唱、後ろ向きで草履をぬいて淵の木にお尻がかからないように座る。そこは食べ物を置く場所でもあるそうだ。そして向きを変えて壁に向かって座り、座布を敷く、足を組み、手を組み黙想する。丁度この時、時々頭の右側が縦にそって痛むことがある。その時だったので黙想よりも頭痛との闘いであって、ドラがなるまでの長かったこと頭はあと何分だろうのカウントダウンのみであった。今回は時間があったので立ち座禅?説明されたが良く聞こえなかった。足の半分づつを動かして歩く、そして堂内を回る。それと警策(きょうさく)も一人づつやってくれた。叩きやすく痛くないようにと頭を左に身体を前向きにの姿勢をとる。音も大きく痛かった。一つ一つの所作はそれなりに理にかなっているのかなと思ったがどうなのだろう。

その後本堂に移り、唱和しながらお経を読み、お坊さんの話しを聞く、俗に言う講話であろうか。お経は漢文?意味するところは素人にはちんぷんかんぷん、聞いた言葉はいくつかあったがハラミタとか勿論意味はわからない。仏教の講話は人生の生き方とかお経の説明をするのだろうか。お経の意味が分かるように読んだら親近感が湧くだろうにと思った。カトリックでラテン語を使うようなもの信者には分からない方が有り難味があるのかもしれない。形ややり方はどうであれ、座禅は黙想するのにいい方法だと思った。カトリックでは黙想の家があるそうで一般の方にも開放しているといわれているが興味がある。

その後、ここ食堂?と思わせるような素人の手作り感のあるお店に行って昼食をとる。名前もこるリ、おばあさんが面白い人だといわれていたが店には出ていなかった。その名前のるり子をひっくり返して付けた店名に遊び心があっていいなぁと思った。(聞いたときはふざけた付け方だと思いながら親近感が湧く)定食500円均一、サルは久しぶりにカキフライ定食を頼んだ。値段の割にはおいしかった。あの店の雰囲気といい、値段といいもう一度生きたい。狭い道を入ったところなのに他県ナンバーの車もあり、それなりに知られているようだ。

そこからすぐ近くの富士見公園小さな公園である。そこに伊藤左千夫、齋藤茂吉、島赤彦、森山汀川の歌碑がある。サルはあまり興味はないが丁度東京からこの碑を見るために来たという老夫婦に出会う。その道の人には知られているようである。それとなんかに碑に希典書というのがあった。乃木大将のものであろう。そちらの方が興味が湧いた。その後昼食を食べたお店の裏あたりになる白林荘に行く、これは犬養毅の別荘だったところだそうだ。白樺が多かったのでその名前がついたようだが贈られて移植したりしたもののあるとか、広い敷地と屋敷、それに二間だけの別亭?青年将校たちに殺されなければここで生涯を終えたであろうにと思う。昔の造りはどことなく質素に感じるがどこかゆとりも感じられる。東京の岩崎邸や飛騨の武家屋敷も同じような印象を受ける。

そこを終えて最後は大分走って八ヶ岳の麓に添って走る?鉢巻道路にあるカントリーキッチンでコーヒーとケーキを個々に頼んでくつろぐ、美味しかった。接客も都会風だったがどこか冷たい、こるりと対照的、接客は好きでないがもう一度行きたいなと思った。帰りナビ使ったら諏訪南インター案内されて少し遠回り、高速を使わないようにすればいつもの道を案内されたようだ一つ利口になる。

富士見は良く知らなかったが歴史のある町である。そういえば今中幸雄さんはドイツに住んでいたところに似ているといわれて此処に移住して、讃美の家を建てている。昔は高速がなくて国道を通っている時、冬の富士見の坂は難所だった。諏訪湖圏と違った良さがある。