2012年11月20日火曜日

「深い河」を読んで

十数年前に買った遠藤周作の「深い河」を再度読んで「重かった」と先日ある方と話をしていたら言われたので興味をもって図書館で借りて読んでみた。文学をどうこう言う薀蓄はもっていないが何冊か読んだ遠藤周作の小説の中にあるものがここにもあるような気がした。

キリスト者としての視点で読んでいるのかもしれないが幾つかのことが気になった。神学生崩れ?の大津の姿を見ているとキリストの愛を仏教の慈悲にすり替えているのではないのかなと思える。或いは彼のキリスト理解の限界を見るような気がする。ある意味で日本的キリスト教なるものがあるかどうか分からないがあるとすれば彼のキリスト教はそのようなものではないかなと思った。

彼は「弱さ」というものの視点を持っている。彼自身の姿なのかもしれないけど弱さを持っている者に対する理解を示しているような気がする。それはそれでいいのだけれど逆にキリストの強さが消されているようにも思える。

インド人にガンジスとはどのような意味をもっているのかはよくわからないが舞台をあそこにしたことで言わんとした何かがあったのだろうがサルにはわからなくなっているような気がした。彼は日本人の罪意識の欠如を指摘していると何かで読んだことがあるがそれとキリスト理解は連動していない。

彼がカトリック信者だということではないであろう。同じカトリック信者でも犬養道子さんは(本は2~3冊しか読んでいないが)その信仰理解は良くわかる。しかし、彼のはよく分からない。文学者としては優れているのだろうがキリスト信仰者としては迷いlの中にあるように思った。