2012年12月5日水曜日

何かダブる

9日早々にクリスマス会を行う。月に一回東京からM伝道者が家族と共に来てくださるその日に合わせてのことなので早い。最近子供たち対象だったりすると12月早々にやっているところもあるようだ。ファミリーと讃美してくださるT姉ともう一組の家族も来てくださるとのことで楽しみにしている。千葉からはピアノの演奏してくれるI姉とご主人と息子さん共にクリスチャンである。姉妹のご両親と親しくし、お客さんでもあったが仕事をやめてから疎遠になり、亡くなられたことを知る。これでおしまいかと時代の流れを実感していた。それがM伝道者が千葉に奉仕に行ったきっかけでまた繋がりを持つことができた。今回で3回目である。どういう形であれ、また繋がれたことに感謝している。

そんな中で笹子トンネルの崩落事故が起きた。上りは勿論、下りも開通するまで間に合わないような気がする。終わってからとは思わない。暮れに近づいたら更に色々なところに弊害が起るだろう。事故の進捗状況を知りたいのにTVは原因究明や解説だけである。事故に関係ない人たちの興味はそんなものであり、現実に影響受ける人たちにはいつ復旧するか或いはバイバス路を確保しているかが問題なのである。原因究明は専門家に任せ、TVで色々やっているのを観ると、使徒の働きの中で「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」(acts:17:21の言葉を思い出す。今の報道は少し違うような気がしてならない。どういう風にと問われると答えられないが実害を受けて初めて感じたことである。

事故やアクシデントが起きると信州は遠いなぁと実感する。通行量どうこういうのではなくバイバス路なることも考えておかなければいけないなぁと思った。中央道も東名が駄目になったときのバイパスをかねていると聞いたことがあるが然りだと思う。それに夜間走っていると良く関西ナンバーのトラックを見かける。東名に比べたら車の数は少ないし、早朝の東京に合わせているのか各サービスエリアは大型トラックでいっぱいである。そういう意味で佐久から小淵沢の縦断道が出来ていたら関越へのバイバス路になる。政治とはこんなことをも考えていいのではないかなと思うが如何なものだろう。

原発と同じように最悪のことを考えないで、大丈夫というみなしで過ごしてしまう恐ろしさを目の当たりにした。自分の中にもある。怖いものには目をつぶって見ないようにする。企業や政治の世界ではこれは許されないだろう。許しているような日本であれば危険なことである。だから軍隊を持とうとそれが国を守る唯一のものだと錯覚してしまう。その前にやることをやらないで・・・。