2013年1月19日土曜日

にっぽん音吉漂流記

幾つかのブログをお気に入りに入れて毎日のように読んでいる。殆どキリスト教関係の人である。できるだけ絞っているので削除したり、また入れたりとその時々によって変わるブログもある。ブログの中に本の紹介をされていることがある。興味があるとまず図書館にあるかどうか確認し、あったら予約をする。無ければアマゾンにあるか確かめる。新刊もあるが発刊が古いのが多いから殆ど中古品である。しかし、ブックオフ同様で注文カードが挟まっているような本が多い。大体安いものが殆どである。英語は解らないからパス、高価なものは難しいものが多いからパスしている。

あるブログは有名なキリスト者の言葉をよく載せている。格言のような言葉である。牧師をされているからか良く知っているなぁと感心している。どのブログだったかすぐ忘れてしまったがそんなことで今年に入って何冊か読んだ。そのなかの一つが「にっぽん音吉漂流記」である。

最初の日本語聖書として有名なギュツラフのヨハネ伝とヨハネの手紙の翻訳に携わったといわれる岩松、久吉、音吉たちのことに興味が湧いて、三浦綾子さんの「海嶺」を読み、フィクションがあるのでちょっと物足りなくて「にっぽん・・・」を図書館で借りて読んでいる。本の最後に資料的なものが紹介されてあり、資料としてもとの思いでアマゾンで確かめたらあったので注文して1昨日かに届いた。あとで注文した本が先に届いたりしている。

一年以上も漂流して助けられるのを見ていると3.11の漂流物が一年以上経って北米西海岸に漂着していることに驚かされる比ではない。物でも驚くのに生身の人間がと思うと奇跡そのものである。そして鎖国の故に国を目の前にして帰れず異国で生涯を終える悲しみや苦しみはいかばかりであろうかと思うと心が痛む、彼らのあとで遭難して助けられた人たちが祖国に帰ることができたこのことは彼らの特に音吉の働きによるとのことで自分が叶わなかったつらさを彼らに負わせないように努力している姿にイエス様が言われた「神を愛することと隣人を愛する」ことの二つの大切な戒め二戒を実行しているように見えてうれしい。鎖国から開国へとの歴史の流れの中に彼らも一つの歯車となったのではと思う。教科書に載っているような歴史上の人物は大きな働きをしたかもしれないがまた大きな過ちをも犯しているような気がする。イザヤ53章のイエス像があらゆるものを変える秘訣を教えている。それは世の中の働きと全く違う働きなのである。

ナショナリズムを煽って大切なものを失おうとしている今日、鎖国の時代も今も人々が是とされないものであれば世の中は変わっていないのではと思う。それで和辻哲郎の「鎖国」を注文してこれから読もうとしている。そこから日本人の姿が浮き彫りになるか何かのヒントを得れば幸いである。楽しみになるか。