2013年1月28日月曜日

「エデンからゴルゴタまで」を読み終えて

こちらに来てから本を買うというとアマゾンで買うことが殆どである。といってもそんなに買うわけではない。それもブログを読んでいてその中に紹介されている本に興味を持ったものだけを注文しているだけである。読むのが遅いから斜め読みをすることも多々あり、ある時は読みながら他のことを考えていて気がついたら字ずらを追うだけだったりしている。元々健康だけが取り柄で性格と頭は問題ありだからしょうがない。

そんな中で後藤敏夫さんのブログに紹介されていた「エデンからゴルゴタまで」井上良雄著の説教集を読み終えた。説教集の所為か読みやすく、分かり易かったが時間がちょっとかかった。その前に読んだ同じ著者の「山上の説教」は早く読めたのに・・・。、多分老眼が進んでいるから字が大きいか小さいかで読む速さが違うからその所為もある。生まれ育った信仰基盤は教会、無教会に対して否定的、そして日基などはさらに論外である。尊敬できる教会の牧師や無教会の伝道者に出合って今はなくなったがしかしそのトラウマは今も生きている。だから日基の教会で話されているという先入観が読みながらどれも共感するのになぜだろうと思ってしまった。

著者の人間理解というか人間の本来もっている人間的(罪といわれるものも含めて)なものに共観をもって語りそれを聖書に結び付けている。大雑把な捉え方かな・・・それしかできないが。前から教会が持っている福音理解、罪の理解が矮小化されていないだろうかと思っていたがなんか読んでいてそれを更に頷けるようになった。サルのつぶやきとして「カトリックのマリヤ崇拝などを通して異端と決め付けるあなたがたは彼らがユダヤ人迫害を正当化し、階級制をつくり、聖書が語っていないものを付け加えている彼らとどこが違うのか。自分たちだけが正しいとしあたかも神の代理人と自負している姿は律法学者パリサイ人そのものではないか」と、誰につぶやいている・・・?