2013年3月27日水曜日

馬籠へ

先日、息子が奈良井宿に行きたいとの事で2-3日の予定でこちらに来た。そこは割りと近いので私たちがまだ馬籠に行ってないのでいっそ馬籠、妻籠と木曽路を北上して奈良井に行ったらという事で出かけて来た。

中央高速で飯田から更に先の恵那山トンネルを過ぎて中津川ICで降りる。ICの手前の神坂PAに付近の地図の看板があり、その脇に小さな案内板に「馬籠1㎞」とあった。そこは高速バスに乗る人たちの出入り口でもあるようだ。あそこにETCのゲートがあったら馬籠に行くのに楽でいいのに、事実、知人はPAに車を置いて歩いて行ったといっていた。最近はSAにETCゲートがあるのをよく見かける。NEXCO中日本さん考えてくれませんかね。

中津川ICから少し戻るように19号線を走る。2車線のバイパスになっていて車の数もそれほどでもなく走りやすかった。曲がるところを確認しながら少し走る。馬込の看板が見えて右折し県道7号線に入る。それで道なりに行けばいいのだが少し走ると馬籠の看板が目に入ったが行き過ぎてしまい後の車は左折していくのでUターンして山道をカーブしながら上がっていく、集落もあまりなく見えても下のほうにある。どの位走っただろうか少し平坦な道になり集落が見えて、その先の信号に馬籠の字、しかしそのようなものは見えない。更に前の車についていくと大きな建物があり、細い道を入って行くからついて行ったがそこはお寺で墓参りの車だった。20日、春分の日、お彼岸である。戻ってさらに進むとようやく駐車場が見えそこに入ったが案内図は更に先にもありそこまで行って停める。

初めての馬籠、結構な坂になっている。一番上の見晴台から下に下りていく、似たようなお店があり、違うのは蕎麦屋さんが何軒かがあるくらいである。せんべいと豆とだけのお店があってつい中に入って買ってしまったが家族に何処にもあるよと言われた。五平餅のような団子もあり、食べながら歩く、観光地だが特別興味を持たせるようなものはあまりない。小さな集落の端にある宿、こんなところでなんでと思った。妻籠から歩いたらここになったのだろうか。どう表現したらよいかここは岐阜県だが飯田から入った遠山郷もそうだが山の上に集落がある。今でこそ車があり飯田まで長いトンネルがあって簡単に行ける。でも昔は下に下りるまで結構あるのにどうして生活したのだろう。その下といっても飯田からは隠れ里のような所である。昔は炭なんかを焼いていたのだろうか。そう言えばいつ何処でか忘れたが昔は炭を焼くのに何日も山にこもって焼いたと聞いた。何日か月か忘れたが田舎でも奥に入った集落では炭を焼いていた事を思い出した。当時は貴重なものだった。そんなんで生計を立てていたのかなと思うと同時に長野県はそんなところが多いので落ち武者なんかの格好の場所だなぁと思った。

馬籠は長野県に属していたが生活圏が岐阜県の中津川市にあるので今は岐阜県中津川市馬籠となっている。確かに中津川から山に入る感じで、妻籠に行くには峠を越えて行く、中津川は下に下りるだけでいいから大分違う。馬籠を後に妻籠に向かったが結構走る。信号があるところに出たらそのところが妻籠だった。ここは更に小さい観光地である。駐車場は整備されている。ゆっくり歩いて以前来たときより店が閉まっているなぁと思った。ここで生計を立てるのは大変だろうなとそんなことを思ってしまった。そこをそこそこに北上して、「目覚めの床」に案内し、奈良井と向かう既に雨が降ってきて、私たちは車の中で息子だけは傘を差して奈良井宿を歩く、降っていなければマリア観音があるのでそれを見てと思ったがもうそんな元気はないし、また何かの機会にくる事があるだろうと先に進む。ケアハウスに知人を訪ねて帰って来た。250キロの旅であった。