2013年3月28日木曜日

東山魁夷館へ

馬籠から一日置いて、前に来た時に行きたいと言われたがその時は丁度休館日だったので行けず今回になった。長野は大きいので南の飯田も北の長野も100キロもある。それについ遠くまで行くからあそこにここにと間口を広げてしまう。それ故ひたすら走るという事になる。今回も松代の池田満寿夫美術館にもと二つの休館日を避けて選んだのである。しかし、松代は今は長野市に編入しているから近いので助かる。

長野ICで下りて慣れないナビで右に左にと善光寺を回りこむように美術館に着く、日本画はあまり好きでなく、食わず嫌いなのかもしれないが東山魁夷も然りである。しかし、今回観てよかった。元々風景画が好きなのでヨーロッパの風景画が多く展示され良い印象を受けた。来れはあくまでも自分好みで絵の素養があっての印象ではない。あくまでも自分の好みである。それと中学生(旧制)の時に描いた自画像に驚いた。自分の基準でいうのもなんだが人の顔を描くというのは結構難しいものである。うまいと思ったがこの後で観た池田満寿夫の絵の中に少女というのがあった。何だこれと思った絵が誰か(忘れた)に褒められてこれがきっかけで画壇に名前が覚えられるようになったような事が説明文の中にあった。(細かい記憶は過去になったが)そんな基準なのである。隣の信濃美術館に寄るが一般の水彩画の県展がやっていたが皆さん素人なのに上手だ。以前今も書いているようだが昔のお客さんで何とか会に所属して発表会を開いている。作品を描くためにヨーロッパまで行っている。そして感心している。そういう意味で小学校の同級生も油絵を描いていて会の発表会に風景画を出していてこれも上手だなぁと何時も思う。今は先生が亡くなられたので会の発表会はなくなったそうだが。

何時か善光寺に行きたいと思っていたのでいいチャンスだった。そして善光寺の隣に信濃美術館があることを地図を見て知る。車を置いて善光寺にと本堂の太い柱、厚い床に圧倒される。地震にも倒れることなく立っている。しかし本堂の中には大勢のお参りの人がいたが線香臭さはいただけない。信者でもないからご利益は勿論ない、期待もしていない。行って意外だったのは坂になっていることである。それにそれほど広くはない。昼は門前の蕎麦屋さんでざる蕎麦を食べる。ここは戸隠の近くだから戸隠蕎麦だったのだろうか。馬籠は色が濃く固くてこちらは白くて柔らかかった。でもどちらも美味しかった。ナビと道路の看板を頼りに松代にと向かう美術館の近くに来たら何も言わなくなった。以前きた事があるのだが全く記憶がなかったが何時も覚えていない家内がナビしてくれて着くことが出来た。池田満寿夫はわからない。ピカソに影響を受けたそうだがなら解るわけがない。完成というか精神構造というか普通の人とは違うものを持っているのだろう。だからあぁいう絵を描けるのかもしれない。不思議な人だ。多才の人のようた。帰りは隣の竹風堂でドラ焼きを買ってお土産とする。勿論自分たちの分も買ってである。

あるいとすぐのところに松代城址があるのでそこを覗く、門と石垣だけの小さな城址である。それでもどこか古を思えださせる。上田城址の方が風情があるように思うが規模も違うか。後帰るだけなので坂城町の公社の風呂に入って帰って来た。HPで見るとよく見えたが何処にでもあるのと同じ様なものだった。来て初日は地元の温泉ロマネットで同じ様なもので悪かったかな、本人は上山田温泉に入りたかったがあそこは銭湯だから安い代わりに石鹸が必要のようなのでやめたが入ってみてもよかったかなと反省している。

高速に入って塩尻北あたりから渋滞していてレッカー車も行く、途中で事故のため松本ICで下ろされた松本市街方向が込んでいたので反対の波田町方面に出る。そこから広域農道に出て安曇野ICに出るつもりだった。しかしその道は渋滞、考える事は皆同じ、地元の車が脇道に入ったのでついて行ったらどうも違うところに行くようだった。適当に走っていたら交差点の手前に案内板が右に梓川SA-ETCとある。右折して走るとすぐ高速道路が見え、まばらだが車が走っている。すぐついてゲートを入るが入ってからややこしい。真っ直ぐ行くと本線に入るようになってSAには入れない。曲がりくねった方に入ればSAには入れたかもしれない。広くないパーキングにトラックにバスが追突している。後で知ったのだがSAの入り口付近で小型の乗用車がガードレールに当たって反対向きになったのを避けるためにトラックがハンドルを切りすぎて横転してしまった。それを避けていた観光バスが後ろから来たトラックに追突されて、ブレーキが利かなくなって側道を走り休憩していたトラックに追突したという次第なのである。一人亡くなっている。重大事故の案内板は嘘ではなかった。梓川SAから入る車は地元の人たちのようである。がらがらの道を走るのは気持ちがいい。安曇野ICから続々車が入ってきた。最初におまけがついた長野道であった。