2013年3月9日土曜日

一枚のプリント ひとりの宣教師のこと (最後)

その後、ターナーさんはチョクチョク我が家へやって来る。戦友の林さんや柳沢さん(何れも戦友、病臥中)も見舞ってくれた。林さんはキリスト教信者になった。
そして彼は私に目を輝かせてキリストを語ってくれる。絶対者を・神を想定する必要を認め乍らーー、
私にはまだ釈然としないものがある。
私は素朴な質問をくり返す。
ーー神とは何か。
ーー原罪とは何か。
ーーキリストでも 釈迦でも どちらでもよいではないか。
最近 私は肢体不自由児の質問を代弁した。
ーー神が 愛ならば
ーー神が 全能ならば
ーー神が 公平な審判者ならば
   何故私だけが歩けないのか
   手が動かないのか
   物が云えないのか
   何故 聞こえないのか
ーー私達に 罪はあるのだろうか
ーー私達は 生まれてきただけである
ーー何もしない 悪いこともしない だのに何故
   私達だけが苦しまねばならないのか
   何故?。
彼は色々云ったがよくわからない。そのうち英文で解答しようと約束した。
 彼は近いうち沼田から移動すると云う。信州の方へ来たいとも云った。峨々たる八ヶ岳屋アルプスの風物も気に入ったらしい。何故にと聞いたら、「神の啓示(リノベレーション)である。」と云う。
沼田では既に後継者が出来た、私がやるべき努めは一応終わった。地の塩になる為に、新しい土地へ行かねばならぬと云う。
 彼は何処に行くのであるか。ーー否々、我々自体何処へ行きつつあるのであろうか。
核と自動車と物価に脅(おびや)かされ、低級なアメリカ文化に汚染され、次第に経済的野獣と化しつつーー。
 かくの如くにして、我々自体いかなる手によって、果たして何処へ導かれつつあるのであろうか。
(昭和四十四年九月八日)