2013年4月29日月曜日

痛みを知らない

最近の政治の動きを観ていると不安が募る。尖閣も不安だがそれ以上に国が滅びるのではと懸念する。詩篇の四十九章に「彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい」という言葉がある。今の政治の行き方が何かこの言葉とダブってしまう。痛みを受けている人たちの犠牲の上に「主権回復」かと、戦争の反省もなく、過去の栄光を求めるようなこの催しを「愚かな」とつぶやいてしまった。

「国のために殉じた英霊のため?」自分たちが死に追いやり死んだら英霊か彼らから学ぼうとしないのか。痛みや悲しみ、そして彼らと家族の苦悩を。人があって国がある。昔も今も国があって人があると思っている。国のために殉じたのであればもっと別な記念の仕方があるであろう。何故一宗教法人に過ぎない靖国でやるのか分からない。TVの画面を見て「お前ら馬鹿か」とつぶやいてしまった。

若い時に韓国人で帰化した人の息子さんと話をしたことがある。その時日本は韓国から七つ奪ったものがあると言われた。覚えているのは「国と言葉」しか記憶にないが奪われた者の痛みはいかばかりなものかと心が痛んだ。それまではそんな事を思いもしなかった。底辺に生きる者はそれでもいいかもしれないが為政者はそうであっては困る。痛みを知らない、知ろうとしない国はどんなに栄華を極めてもその先は滅びである。

こんな言葉もある。「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」哀歌 3:22。好きな言葉である。忍耐される神と性急に滅びに向かう為政者。