2013年5月27日月曜日

東京の下町を歩く

先日、以前通っていた教会の二人の姉妹が前後して退院されたと聞いて訪ねて来た。お見舞いという言葉はあまり好きではない。なんか健康な人間が病人を哀れむような目線があるような気がしてしまうのである。人生は自分との戦い、病気との闘いもあれば、精神的な弱さで押し潰されそうになってしまう人は自分との闘いがある。そこにサルも金魚の糞のようにくっついている。

一年ぶりの東京である。何かないと東京には行けない。春に東京に行く機会があったが大雪で行くことができなかった。残念だったがこれも御心かと思った。
最初、世田谷へと兄弟が食事を作るようなので、それなら一食作らなくてもいいように昼食を諏訪インター前のおぎのやで釜めしを買って行くことにした。家内の提案だったが時々サルが気がつかないことに気がついてくれるからありがたい。それと最近は正月の高崎での新年学び会にはパスしているから自分も食べたいという気もあってのことである。最近、こんな感じで便乗する。この間も書いたかな?富士見町へ行った時に目的の一つであるケーキ屋さんで家内がケーキを物色している時、壁際のパンを見ていたらその脇にフランスパンが置いてあったのでおもわず手にとってレジのカウンターのトレーに乗せてしまった。パンなどを買いに行った時はフランスパンはノーなのである。フランスパンは何もつけなくても食べてしまう。スプレッド?チーズをつけると最高であるが。

調布付近で工事があって大渋滞のようなので国立府中で下りる。ぼけっとしていた所為か下り方向を府中方面ではなく八王子方面に下りてしまった。久し振りなので地形が変わったなぁと思って走っていたがどうも間違ったようで折り返して少し走ったら思い出す。後は川崎街道に入って稲城から川伝いに走り、登戸から世田谷通りに出て後は一本道、環八を超えて左折するが右に入る道を見失って農大の道に出てチョッと回り道して着く、姉妹が思ったより元気なのでホッとする。それに落ち着いている姿を見てこちらが励まされる。一緒に昼食をとり、ひと時団欒の時となった。話が弾んですぐ失礼するのが3時間あまり、時間が気になって腕時計にチラチラ目が行ってしまった。様子を見てすぐ失礼しようと思っていたがそんな具合であった。長くなって姉妹は大丈夫かなと心配しながら失礼したが家内に言わせればすぐに帰れるわけがないと言われてしまった。そこからいつも来てくださっているMファミリーの家が近いので顔出し、玄関先で挨拶して失礼する。

そして次ぎのH兄弟姉のところへと向かう。世田谷通りを戻るように走り、百合丘の駅の手前を左折して、昔よく通った道を懐かしさを覚えながら走る。時間も少し過ぎたくらいでホッとする。ご主人のH兄が迎えてくれたがお元気、姉妹も思ったよりお元気なのでホッとする。ただ話すことができないので、色々試みてみたが言わんとすることが分からず残念だった。最初、手を取ったら強い力で握られたのに驚く、それに手を口に持っていかれた時の腕の力の強さにも驚く、最初、親愛の情を示されたのかと思ってそのつもりで話したら、唇と指で何かを伝えようとしていることに気が付くが分からずサルの浅はかなる思いを恥じ入る。暗くなってきたので失礼したが意思が理解できなかったことが悔やまれる。相変わらずご主人の兄弟は色々気を使ってくださって恐縮する。駅まで出るほどの元気がないようなことを聞いていたので安心して行ったのに何かともてなしてくださった。感謝する。

翌日は、以前にも行ったのだが今回は締めくくりの意味を込めて、キリスト者になる前に住んでいた街を歩いてみた。就職で上京して最初に住んだのは大崎、京王線で明大前から渋谷に向かい、JRの渋谷駅から五反田駅で池上線に乗り換えて戸越銀座で降りて、商店街を端から端いと歩く。その反対方向に一キロくらい歩くと目蒲線の武蔵小山駅がある。あそこに場末というか三番館というか映画館があった。先輩に連れてもらって観た映画がジェムス・ディーンの「エデンの東」だった。あれ以来映画大好き人間になってしまった。ここの銀座は日本一長い銀座だそうだ。商店街が切れて少し歩くとその先に新幹線が走っている。そこのガードをくぐった所に会社があり、寮があった。あの当時は品鶴線といって貨物線の線路だった。今はそれプラス横須賀線だろうか?そのうえに新幹線が走っている。そこから十分くらい歩くと大崎駅がある。知っている頃は駅前は明電舎の工場、その後ソニーの工場になって、今はインテリジェントビルになっている。様変わりしたものである。それから亀戸へ、駅前の下宿屋に下宿していたがそこもなし、駅は様変わりして、裏通りを通ったら八百屋があってトマトとアスパラが安いので思わず買ってしまった。そこで亀戸のはずれに東武の駅があるのを思い出してそこで訪ねたら教えてくれたがスカイツリーに行くと言ったら駅前のバスターミナルからバスが出ていると言われてそちらに行く。バスで十分位だから亀戸から近い。昔は業平(なりひら)といって何もない所だった。多分、ソフトバンクの王さんが生まれ育った所ではないかなと思う。昔、同じ職場の人で王さんと卓球をやったと自慢そうに話していたことを思い出す。王さんが高校生の時の話である。

スカイツリーは時間がないので外から眺めるだけ、下から眺めると大小のパイプの寄せ集めの感がする。遠くで見るほうが風情がある。ソラマチ?を散策して、浅草に出て、時間がないからそのまま地下鉄で上野に、上野公園を横切り、芸大前、寛永寺の前を通って鶯谷駅へ、短い間であったが寛永寺の近くに部屋を借りていた。声楽の音大生の歌っている声が良く聞こえていた。今はないが公園の中にある野球場があって休日は野球をやっていたので良く野球見物をしていた。そこから王子の一つ手前の上中里で降りて、造幣局の滝野川工場の前を通り、中山道の一里塚の近くに住んでいたがそこも場所も面影も見出せなかった。そこから上野に戻り、今の台東区役所の近くに職場があったのでそこも見てみたが分からなかった。ただ隣が風呂屋さんだったのでそこの息子さんとよく風呂に入った思い出がある。風呂屋の息子でありながら風呂が嫌いでおかみさんが一緒に入ってくれと頼まれて良く背中を流してあげたものだ。その後はマンションになっているのかな、その隣の建物にに懐かしいお風呂屋さん苗字の表札がかかっていた。中山道沿いにオートバイ屋さんがたくさんあったが今は数軒しかなかった。上野の駅前、アメ横、御徒町のガード下を歩き、秋葉原を歩いて、食事をした後、夜の集会に出る。キリスト者になる前に住んでいる所を歩き、上中里からキリスト者になって世田谷に引っ越した。これで一つの区切りとすることが出来た。色々な意味でジ・エンドである。