2013年6月6日木曜日

御野立公園で

先日、シニアの集まりで塩尻との境にある御野立公園にバードウオッチングに行ってきた。ここには五月と六月の日曜日の早朝にバードウオッチングのための小鳥バスが出ている。しかし朝であったが九時を過ぎていたので鳥のさえずりもわずかで小鳥の姿も見受けられなかった。鳥たちは日が昇るまではうるさいくらいさえずるが日が昇るとピタッとさえずりが止んでしまう。どういう理由だろういつも不思議に思う。

鳥が鳴くのはオスだけとか概して動物のオスは外見が派手である。メスの注意を引こうとするからかな人間は男はダークスーツが似合い、女性は派手な化粧と洋服が良く似合うのに。説明してくださった方は野鳥の会の会長さんで色々鳥に関して詳しい人だった。鳴いている鳥はなんていう鳥か鳴き声で分かり、それがどのようなのかも話をしてくれた。鳴き声には三つの種類があって、自分のテリトリーを示す声とオスがメスに対してのラブコール、そして威嚇があるそうだ。鳴いている声は同じ様に聞こえるが色々あるものだと感心する。

ここは峠の一角にあるから平地が少ない。その少ない平地に案内してくれて、そこには「フデリンドウ」が咲いていた(説明で知ったのだが)。丈10cm位で小さな花である。先月に見にに行った芝桜のような、去年見た赤蕎麦畑のような壮観さは無い。これは一年草で種は粉の様に小さいといっていた。この名前の由来は花が閉じたとき筆のような形に見えるので「フデリンドウ」と言うそうで、この花の不思議なのは、日が刺しているときだけ花が開いて、曇りや雨の時は閉じている。行った時は晴れていたので花は開いていたが不思議な花だ。小さな種の所為なのかな? 虫が中に入って閉じられると中で動き回っているうちに花粉が付くのでそれで受粉の助けをする。踏まないでと注意されるほど小さな植物だから増やすのは大変みたい。バードウオッチングなのに鳥もさえずりも少なかったけれど手入れしてきたこの花を見せるだけでも良かったのかもしれない。

花を見、説明を聞ききながらふっと次の聖書のことばが浮かんだ。「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。matt 6:30そして「信仰の薄い人たち」と続くだが、正直底辺で生きているともう少しいやもっととの思いも無いではない。しかし、不思議な花である。

その後、建物の中で「大鷲グル」の話などをしてくださった。オオタカがが感電死したのを剥製にしたり、鷹や鷲の大きい鳥が感電死しないように中電に対策を検討するように依頼したりした事を聞いて、そして中電をも動かしている姿を見て鳥に対する愛情はすごいなぁと感心する。フデリンドウを丁寧に手入れしているのを見ると自然に対する愛着もひとしおであろうと思わされた。愛の無い者の呟き。