2013年6月13日木曜日

700キロの旅

田舎で小学校の同窓会があったので出かけてきた。学年が一クラスしかない小さな小学校で、もうその学校はない。卒業時総勢44名、女性が4名多い。60年たって物故者は13名、約30%弱、介護を受けている人も居るそうだ。これから毎年一人、二人と増えてくるのだろう。しかし、集まった人たちは元気がいい、特に女性陣は、これは何処でもの現象だがここでもである。今回、地元の女性
陣にせっつかれて男性陣が動かざる得なかったようなことを言っていた。悪い事ではない。人数も11:5で数で圧倒、これも何処でも同じ現象。

何時もは会が終わったら帰りに実家に寄るのだが今回は阿賀野川の遊覧があるとのことで戻るようになるから午前中に行く事にした。0-4時の半額を利用するために4時前に出発する。まだ真っ暗、上りの車は少しあるが下りの車は殆どない。一インターに一台越されるくらい。豊科あたりで少し明るさが出て、長野あたりで朝の感じ、そのまま走り、一車線になるあたりから眠くなってきたので新井PAで休憩、持参の毛布を被って後のシートで眠る。2時間近く眠っただろうか顔を洗って出発する。二車線の時はゆっくり80キロあたりで走っていたが一車線になると後から追いまくられるのでそうもいかず90から100キロで走る。所々二車線になるのでそこで追い越してもらって助かる。北陸道に入り少し車の数が増えてくる。柏崎、長岡と、そして新潟に近づくとさらにである。車の数は信州に比べるとダントツに多いみたいだがどうなのだろう。新潟で新新バイパスなる車専用道を走る。ノンストップで終点へ、平行に走っている高速道はがらがらである。しかし、災害時の輸送路としての自動車専用道路は整備されないとと思う。

実家の近所の同級生の家に顔を出し、庭先で立ち話をして、お茶を勧められたがそこで失礼する。実家に寄ると留守、こんな時にと持ってきた文庫本を読む、ちっとも進まないのでこんな時があると助かる。義姉さんの実家のお兄さんが亡くなられて、三十何日目かでお坊さんが来てお経を上げていたようだ。町に出かけて昼食に回転すし食べ、実家に戻り、お米を貰って会場へ。去年、逆に走ったので思い出しながら走る。ゴチャゴチャ走ったので大丈夫かなと思ったが迷わず会場の旅館へ着くことが出来た。それに定刻五分前に、覚える事が衰えてきているので、少し自信を持つ。挨拶をしながら「私わかる」と二人に言われたが分からず。少し経って思い出してきた。宴会後に女性陣が男性陣の部屋に来て賑やかに時を過ごす。おじいさんやおばあさんたちであるから、もうギラギラしたものがないからいい。

色々準備や手配をしてくださったMさんは酒屋の娘、お父さんを亡くされて、お母さんと店を切り盛りされていたようだ。如才なく、気配りの出来る方で、県外から来た人たちに自家製の味噌とその中に漬物を入れてくださった。私なんか都合でこれなくなったHクンの分を上げるとと二つ貰ってしまった。それプラスおミヤゲに地元のかりんとう饅頭も頂く、頂くといえば近所の同級生も何か下さった。帰って開けたら笹だんご、去年も今年も買えなかったから嬉しかった。さっそく食べたが餡が甘くて美味しかった。自家製のようだ。年と共に小さい時の食べ物が懐かしく、おいしいとかおいしくないとかの次元でなく、懐かしさで食べられる。笹だんご最高。彼らは同じ集落で同級生、彼は心臓の弁の手術をしている。彼女は彼の体を心配しているのが端々にうかがえる。夫婦愛っていいものだ。

翌日は車で2-30分の阿賀野川の遊覧へ、私だけがそのまま失礼するのでバスの後について行く、遊覧は大したことはなかった。そこで個々で食事と買い物をして彼らはバスで旅館へ、私は安田インターから新潟へ、車の数の多さに驚くが海岸端に向かって走るが防風林の林がそれを遮る。しばらく走ってようやく海が見えるようになる。太平洋岸と違って変化に富んでいるからいくら走っても飽きない。そして柏崎へと向かう。途中寺泊に市場があり、チョッと寄って少し買い物をして、また走り出す。海岸を迂回するように道が内陸に向かっていたので目的地が近いことを知る。しばらくすると建物が見えた。それ程大きい建物ではない。駐車場も車が数台しか停まっていない。当たり前といえば当たり前なのだが内容は期待したようなものではなかった。企業のPR館であるから期待する方がおかしかった。5階はキッズルームになって、若いお母さんたちが3人ばかり子供を遊ばせていた。危険の危の字も感じない。がっかりよりも憤りを感じてしまった。福島の反省なんか何にもない。勿論危険なこととか否定的なことはできないことは分かっているが。

急ぐ必要もないのでそのまま走っていたら上越市にまで来てしまった。それではと上越高田から高速へ入ろうとして8号線から左折をする所を一本先にしてしまったので道に迷ってしまった。途中から戻ろうとしているうちに国道とバイパスのような道とをごっちゃにしてしまって迷う。ナビのあるのを忘れ、人に聞いて走るが大分走り大乗腑かなと思いつつ走ると突き当たり、高速の案内があってすぐインターである事がわかってほっとする。広い道を国道と間違いてしまったことに気付く、たまにこういうことがおきる。急いだり、あわてるとこうなるが時間たっぷりなのにと思う。少し間をおいてやればどうって事ないのにア~勘違いである。
高速に入って間もなくガス欠のアラーム、車が少ないのかSAなのにスタンドはなし、小布施PAで下りて探すがなし,戻るように走って信州中野近くまで来て、ナビにガソリンスタンド案内もあるのを思い出してナビッたらすぐ近くにあった。スタンドの目の前がIC、何もない田舎で夜となると本当に何もない。高速の脇を走るはめになった所為もあるのだろうが。なんだかんだで700キロからの旅になった。

去年、近所の同級生と話をしていて、一つの拘りが消えた。今回も何と言われると言葉に窮するが何かが消えたようだ。田舎に対するものなのだろう。都会を去り、今は裸の自分を直視できつつある。回心した取税人のような者かもしれない。自分がどう見られ、どう見せようかという思いはなくなりつつある。それよりも主を知ること、主に知られていること、この方がはるかに大きい。勿論まだまだであはなるが。老いて来ると今まで出来たものが出来なくなるという現実に出会う。今回もそんなチャレンジであった。車で走ることも旅行するのも皆ここまで出来る、または出来たの確認である。少し自信の付いた旅であった。