2013年6月17日月曜日

笹だんご

最近、同級会などで田舎に帰ると同じ集落の同級生のHクンの家に寄る。以前は母の実家に寄ることはあっても田んぼ一つ先のHクンの家には寄ることはなかった。今は逆になって母の実家には寄らなくなった。何時だったか兄がもう寄らなくてもいいよと言われたので寄ってないだけである。彼の所に寄るきっかけは、3-4年前に湯沢で同級会があった時に夫婦で出席していた。彼は同じ集落の同級生のHサン(同じHになったが)と結婚している。次の時には彼女しか出席していなかった。用でもあったのだろうと思っていたら宴会の時にHサンが私の席に来て「実は主人が心臓が悪く、心臓専門の開業医だけど何もしてくれない。今は寝たり起きたりの状態」とそんなようなことを言われた。じゃぁ帰り実家に寄るからあなたの家にも寄るよと言って訪ねたのがきっかけである。帰っったら調べてみると約束して帰ってきた。そしてネットで調べて資料を送った。「多分先生は何もしないのではなくて、弱っていてもまだ自分の体のものが一番いいのではないか、だから手術は最後の最後だと思う」そのようなことも書いたら少し安心したようだった。結局昨年かに手術をされて、元気になったらつい色々やって無理をしてしまった。今は少し調子はよくないと言っていた。でも無理をしなければ大丈夫とのこと少し安心する。農家だからいくらでも仕事があるから働き者の彼には辛いところである。無理しないようにとの思いは心しているようだ。

家も田舎もか嫌って上京したので、田舎には帰ることはなかった。帰るようになったのはキリスト者となって、今までの親不孝もあり、顔を見せるだけでも親孝行かと思って帰るようにしていた。田舎に帰っても母の実家と本家に挨拶に行く位で他に行くことはなかった。何時だったか母が「H(弟)はかばんを置いたら何処かに出かけて帰ってきたと思ったらもう東京に帰る時というのが多いがお前は何処も出かけない」そのような事を言われた事があった。明確なものではないが拘りがあり、厭いてという思いもあってのことである。Hクンの病気のお陰で彼らと会って話をしていくうちに拘るものが薄らぐというか消えて行ったように思う。同じ集落に男子の同級生が四人(女性は五人)、そのうち男性は二人亡くなっている(女性は一人)。何時だったか「残っているのは二人だけだから無理をしないで長生きしようよ」といって彼も頷いてくれた。そんなこんなで彼らに感謝していた。

Hクンはそんなことで参加できなかったがHサンは参加されていて、旅館について受付を終えたら彼女が来て、お土産のお礼を言われて「これ」と言って袋を渡された。有難うと言って、そのまま荷物と一緒に車に入れて中身を見ていたなかった。帰って来て袋を開けたら「笹だんご」である。夜中なのに一個を食べる。餡が甘くて、蓬のだんごも歯ごたえがいい。おいしいので思わずもう1個食べてしまった。地方局の水戸黄門の再放送の時にコーヒータイムにしている。その時に1個、朝食にはパンの代わりに1個食べて昨日で終わった。どうも手作りのよう。季節的には田植えが終わった後で作っていたと思うが今がそのような季節になるのかな。田舎にいた時は、母の手伝いで笹にくるむをやっていたから、甘さと美味しさと懐かしさで感激である。大分前には、郵便局での笹だんごのカタログを見て、生唾を飲んでいたが今回は本物の手作りの笹だんご、最高。Hクン、Hサン有難うございました。田舎に行った甲斐がありました。