2013年7月3日水曜日

「鎖国」を読んで

和辻哲郎の「鎖国」をようやく読み終えた。文庫本で活字が小さく、それに昔の漢字を使っていたりで読みづらかった。時にはページを斜め読みしながらの牛歩のペースである。

日本の鎖国について色々書いているのかなと思ったら最後の最後にチョコット。日本史は勿論のこと世界史も大雑把な事しか分からないので細かく書かれても分からないのだがマルコ・ポーロ直後あたりから書かれている。ある面でキリスト教の宣教史的なものがあるように思う。ヨーロッパ特にスペイン、ポルトガルが中心になって、アフリカの西海岸から東海岸へ、そしてインド、アジヤと貿易を拡大していく中でのキリスト教の布教から語られている。丁寧に書かれいるから読むのが大変なのだが書くための資料は膨大なものであろうと思うと脱帽である。山田長政の名前は知っているが彼だけでなく多くの日本人がアジヤに進出して活躍していたようだ。倭寇というのは(13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部を中心に東アジア地域で活動していた海賊の総称。略奪行為だけでなく、密貿易も行っていた)海賊とか初めて知った。

それとアメリカ大陸発見がその後であることが面白い。東海岸から西海岸へそこから太平洋の各諸島を経てマニラへ、当時の人たちの冒険心って強いなぁと思う反面、山師的な人間も多かったのだろうなと思う。それだけヨーロッパは閉塞していたのだろうか。インドのゴア、そして中国のマカオは既に貿易とキリスト教の拠点となっていた。そしてマニラである。

鎖国というと信長あたりかなと思ったら、信長はキリスト教には興味を示さなかったがヨーロッパについての興味は旺盛であったらしい。「「未知の世界に対する強い好奇心、視圏拡大の強い要求を持っていた。と著者は書いている。布教を、教会を建てることを許し、武士を始め多くの信者が生まれた。何時かぶつかったかもしれないが彼の死は、キリスト教の衰退を意味したようだ。秀吉から宣教史追放が始まり、徳川に入ってもまだ家康の時はそれ程でもなかったようだが家光からそれが徹底されたようだ。

ポルトガルが地道に日本の文化を踏まえて宣教して行く中で後発のようなスペインの強引な宣教が反感を買い、それに新教のオランダが加わって、日本人にキリスト教の混乱を招いたのも一つあるかもしれない。著者が書いているように秀吉や家康らの「視界の狭小にもとづくものであろう」書いている。それと「為政者の精神的怯懦」という言葉も使っている。まさに為政者の心の狭さを思う。

日本の敗戦を「科学的精神の欠如」挙げている。日本軍の言動を観ていると頷ける。さかのぼれば秀吉や家康にたどり着くのであろう。信長のような人物は日本には馴染めなかったのだろうか。自分の姿を見てもその精神構造はこの延長線上にある。キリスト者としてもマイナスであろうことは良く分かる。しかし、この殻を破るのは至難の業、否、出来ないかも知れない。日本のキリスト教史を知りえただけでも良かった。信長のイメージも変わった。というより知らなかった。秀吉や家康は予想の範囲だが。