2013年7月7日日曜日

止揚学園

先日、止揚学園から「創立50周年記念の集い」の案内が来た。昔、少額でも寄付をするとこのような案内をよこしてくれる。どこかの教団?のように、移転してコレコレのお金が必要ですと寄付の要請が来て寄付をすれば次回も必ず来る。しかし、それがないと次はなしである。これはこれではっきりしていていい。
この学園を知ったのは、信仰を持とうかとしていた頃に「百万人の福音」誌に特集として載っていた。古いお寺だったかを改造して始められた学園の初めの頃である。
障害児の父として尊敬されている糸賀一雄の「この子らに光を」の思想に反発して「この子らと共に」だったと思ったがそれがここの学園の根底にある。
「救らいの父」と言われた光田健輔さんも患者の隔離政策の批判によって批判されていると聞く、当事としては画期的なことであろうと思う。糸賀さんもそうであろう。疎外されて、座敷牢に入れられていたような子らに光を当てただけですごいと思う。
それでも福井さんは差別を感じた。言われてみれば然りである。困っている人に何かして上げる思想は「善意の悪」である。これがサルの中にもあるから困ってしまう。どこか自分が高い所にいる。
二十代の何時ごろか忘れたが訪ねた事があった。平屋の小さな建物だった。子供たちもそれ程多くはなく、知らない人におびえるようにしている子もいれば、サルの傍に来て親しそうに話し続ける子もいて、特別に障害がどうのこうという印象はなかった。その時に案内してくださったのは面条さんである。
福井さんとは本を通して知ることになった。何時だったか近くの保育園に福井さんの講演があるとのポスターを見て聞きに行った。子供の座る小さなイスに座って、男性はサルを含めて数人もいなかったのではないだろうか。子育て真っ最中のお母さん方の生き生きとした顔に囲まれての講演会であった。内容は忘れたが終わって挨拶に行こうとしたらわぁーとお母さん達が福井さんを囲み、頭の薄くなったおっさんが(失礼)こんなに人気があるなんてと思ったのが実感である。関西だけでなく東京でも有名な存在である事を知った。待っているのも照れくさいので失礼したがそんな思い出がある。
福井さんは彼らに対しての真剣さは半端ではない。いい加減が着物着て歩いているようなサルにとってチョッと煙たい存在、会えたいが怖いが本音である。でも大きくなった学園、そこで生活している人たちの姿を見たい気持ちがある。多分自分のいい加減さが少し矯正されるだろうと思っている。勿論そのためではない。学園の真摯さをこの目で確かめられたらとの思いである。