2013年8月15日木曜日

オ・ボーン

昨日からお盆休みになったのか何処となく静かである。お盆に備えて買い物をしているのか昼に西友の前を通ったら何時もより車の数が多かった。それにうなぎを焼いているお店も何時もより多かったなぁ。お盆休みに合わせて、この暑さを凌ぎ、スタミナをつけてこの夏を頑張るためにチョッと贅沢をの発想は・・・。
お盆は先祖の霊が来る唯一の時だから大切にしなければならないのだろう。そのことは分かるが他の時は何処になどと野暮な質問はなし、しかし、良く仏前に報告するというのはその辺の絡みはどうなっているのだろう。お供えも然りである。仏教、神道などは教義は確立しているのだろうがこちらの諏訪大社のいわれを見ても複雑である。少し調べようとしたがこの頭では無理である事を知って早々に諦めた。家内の実家の集落には「洩矢(モリヤ)神社」があり、これが上社に引っ越したと「神長官守矢資料館」の職員が言っていたが「大祝(オオホオリ)」、「御射山(ミサヤマ)」、四月十五日の「御頭祭」、過越しの祭りの近くである。そして神社の裏山には(少し離れているが)「守屋山」がある。興味は尽きないが・・・。
主点をどこにおくかでも見解が違ってくる。地元の人が大切にしているものと余所者であり、基督者であるサルとでは興味の視点が違う。ユダヤ教との関連がよぎる。
時代と共に色々付け足していくような感じを受ける。だから原型が分からなくなってしまう。混交主義なのだろうか。日本の宗教の形態はこのようなものが多いような気がする。日本人の賢さが本質を見失っていく姿に、否、厭いてそれを見ようとしない・・・。日本人の姿このようものなのだろうか。カトリックのマリヤ崇拝なんかも似たようなものか。マリヤに抱かれている幼子イエスは、大人では困るのかもしれない。