2013年8月3日土曜日

話を準備する中で

聖書をそのまま神のことばとして受け入れている中にいると聖書の言葉がパターン化していることに気付かされる。或いは自分だけの事であるのかもしれない。多分そうだろう。今回も、

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」(gen 2: 7)

このことばを一くくりに理解していた。しかし、「土地のちりで人を形造り」と「その鼻にいのちの息を吹き込まれた」と「そこで人は生きものとなった」の三つに分かれる。最初は他の動物と同じであるgen 2:19。(この三つは時間差はないのかもしれないが最初のところでは動物と同じ様に生きることが出来たはずだ)。次は動物と違うところである。その結果初めて生きる者(共同訳)となった。動物は最初のところで生き物となった。人は「いのちの息」を吹き込まれて生きる者となった。

神は人をご自身のかたちとして創造された」(gen 1:27)ということはこういうことだったのかと納得した。

そして「神は愛です」(1john4:16)とあるように人は愛するものとなった。しかしそこに深い煩悶が生まれたのも事実である。まさに愛がある故に・・・