2013年8月16日金曜日

終戦記念日に思う

昨日は終戦記念日だった。
全く戦争を知らない世代ではないが殆ど知らない。寧ろ朝鮮戦争が小学校の頃に始まったので毎日のように新聞にその状況が載っていた。地図上に対峙している位置が出ていたので、一喜一憂していた事を思い出す。

いつもこの時期になると複雑な気持ちになる。日本人特有のあいまいさが露呈するような気がしてならないからである。広島と長崎に原爆投下された日時に市の広報で案内があり、一分間サイレンが鳴る。今年は初めてサイレンが鳴っている間黙祷した。昨日は正午にサイレンが鳴ったようだが出かけていて気がつかなかった(我が家には市の防災ラジオがあって広報の放送がラジオから流れてくる)。それでもどこか内向きの感がする。外に向けてのメッセージがはっきりしない。

当時長崎市長だっ本島等さんが議会での質問に答えて「天皇にも戦争責任はあると思う」の発言が大きな話題になり、それで右翼に襲撃されるという事件があった。まさに触れてはいけないものに触れたの感がする。ある意味で触れてはいけないものがあってはならない。
しかし、日韓の執拗な日本非難を思うとアメリカがベトナムで行ったことはベトナム国民はどう捉え、アメリカはどう対処したのだろうか。対外国となると外交下手の日本の姿が浮き上がってもくる。