2013年11月1日金曜日

いのち

昨日O兄のMちゃんが耳の手術をして無事に終わった。Mちゃんはお母さんのおなかの中に居るときに頭に腫瘍が出来て、生まれて一ヶ月くらいのときに頭に出来た大きな腫瘍の手術をする。そのときの手術で耳の穴が小さくなっているので中耳炎などになったら治療が出来ないとのことで耳の穴を正常に戻す手術をされた。生まれてまもなく大きな手術をし、四歳でまた手術である。耳の手術は術後も痛みが続くようでそれが心配である。

臆病なサルは最近、TVのボリュームを一つか二つ上げないと良く聞こえなくなった。東京にいるときは一、二年くらいの感覚で耳垢を取ってもらっていたからこちらに来て5年になるのに一度も行っていなかったので耳垢が詰まったのかなと思って医者に行ったら耳垢はたまっているがその所為ではなく、単なる老人性難聴、もう少し悪くなったら補聴器が必要になるそうだ。中学生のときに運動会のスターターをやって、耳栓をしていなかったので右耳が耳鳴りがして、二十代前半で左も鳴るようになった。それからもう半世紀、静寂を知らないサルである。その影響で難聴になるのかなと思っていたがそうでもなさそうだ。同じ世代の人でもう補聴器を使っている人もいる。耳垢を掃除してもらったとき、左は痛くは無かったが右は痛くて思わず顔をしかめてしまった。もう少しやっていたら悲鳴を上げてしまっただろう。耳垢をとるのに耳をほじくられて悲鳴を上げるサルと四歳で二つの大きな手術したMちゃんとは比較の対象にもならん。産婦人科医の書いた絵本の中に「私はあなた方を選んだ」と赤ちゃんが親に対してそのようなことばを言って生まれた来たことが書かれている。親が選らばれて大丈夫育てられると安心して生まれてくるのである。Mちゃんはこれからもまた幾つかのハードルを越えなければならないのだろう。彼らはそれをクリアーしていくことを信じている。だから生まれた来たんだ。彼女はいのちの尊さ、すばらしさを教えてくれる。そして強さも。