2013年11月14日木曜日

初期のキリスト者像

「使徒の働き」を見ると初期のキリスト者像がよくわかる。
5:13に「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」、塚本虎二訳では「ほかの者は(なんとなく近寄りがたくて、)だれ一人敢えて彼ら(の仲間)に加わろうとしなかったが、それでも民衆は彼らを尊敬していたので──」とある。塚本訳の方がわかりやすいような気がする。同じようなことが今日でも見ることができる。そういう意味で初代の信徒も現代の信徒も変わらない評価を受けているのかな。
次に、
9: 2ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」、ここでは「この道の者」とある。「この道』という言葉も19:9,23、22:4、24:14,22に出てくるだけである。当時はまだユダヤ教の一派で異端と見做されていたようである(24:14)。黒崎注解では「道は、往々にして異端または宗派を表す場合あり。」と書いいる。日本では「道」といえば柔道、武道、茶道、華道とあるようにその
道の専門的なものを意味する(それによって人を一定の方向に導くもの。 専門を究めて一派を立てた技芸―コトバンク)。日本における「道」はこのような意味を成している。柔道などは勝てばいいみたいなところがあってつまらなくなっているが本来ならば型があり、「道」を極めた人の柔道は美しい。他のスポーツも然り、「礼に始まって礼に終わる」と言われている。聖書から悦脱しているかもしれないが「この道」を歩むなら、今と違う歩みがあるのではないだろうかと思わされている。信仰、教会中心主義はそれを守れる人は幸いであるがそうでない人は枠の外にいるほかないのである。勿論、信仰生活が守られ、教会生活が守られる信徒は幸いであり感謝すべきことではあるが。

読んではいないがトマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」という題名の本がある。まさに「道」とはこのことであろう。明治のキリスト者は「この道を」極めようと聖書研究に社会事業や教育にそして福音宣教にと邁進して今日の教会があり、社会福祉があり、学校があるように思う。「この道」とは登る道ではなく低く降りていく道である。サルは「この道」ではなく「外道」だなぁ。



1:26「彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」