2013年11月16日土曜日

便利に

話の準備などで色々調べようとすると手元に資料が少ないのでネット検索をしている。図書館で借りて「細川がラシャ」(田端泰子著)を読んでいるが学のないサルは武将の名前が読めない。ウィキペディアで苗字をを入れると歴史上に名のある人物はその後に多くの名前が列挙されるからその中に殆どある。読み方もわかり、どういう人物かもわかる。それと読めない漢字がちょこちょこと出てくる。これはワードの手書きで大体わかる。漢和辞典だと偏だ冠だつくりだとか何画がわからない時があり、それに調べるのに手間取るからこれは重宝している。漢字が二文字だと手書きで調べて「コトバンク」で読みと意味を調べる。これは更に便利である。「細川ガラシャ」を読むときはパソコンはオン状態。しかし漢詩はギブアップ。「コトバンク」は和英も英和もできるようだがお世話になる機会はない。聖書の言葉は富山国際大学の高尾准教授が「聖書用語検索」というのを作成して公開している。アクセスは1570万近くになっている。最初の頃はポツポツだったように記憶しているが今はすごい。それに新改訳だけかなと思ったら口語訳や新共同訳もある。聖書箇所と聖書の言葉の両方を検索できるから便利である。ただ「愛」などは数が多くて無理、「愛・・・」と入れないと駄目。聖書の言葉もうろ覚えだと駄目でなんか手がかりを見つけて検索している。元々記憶装置が弱く、晩年になって更にその能力が落ちている者にとってはとても助かる。足の不自由な方の車椅子のようなものである。我がキリスト集団は恐ろしい集団で老いも若きも聖書の言葉を言うと聖書をペラペラとめくってその箇所を出し、話の中で必要なみことばをこれまた聖書をペラペラとめくって提示する。そんな人がゴロゴロ?いる。頭に聖書がきっちり入っていていつでも取り出せる。サルにも入っているが暗証番号を忘れたのか出てこない。文明の利器を使わしてもらっているが肝心な信仰は自前でないとこれが問題、しかしガンバリズで頑張るのではなく、与えられているもの、大切にしないと…。