2014年2月17日月曜日

信仰的刺激

自分で言うのもなんだが内容は別にしてもよく本を読むと思う。絶えず何かを読んでいる。数少ないが漫画もある。TVを見るより多いかもしれない。でも今日は聖書も読みかけの本も読まず昼一人なのをいいことにぼけーとTVを見てしまった。BSで吉永小百合と高橋英樹の「伊豆の踊り子」、それとテレビ東京での高倉健さんの「網走番外地」シリーズの一つ、半世紀前の作品かな?当時はまったく興味がなかったが男と女のほのかな恋心を垣間見るシーンがあり、それで何となく見てしまった。身分の違いというか貧しさのゆえに告白できないもの悲しさがなんともいえない。ちょっとした息抜きみたいな感じで偶にはいいものだ。しかし健さんのは明日もあるみたいで誘惑!

本を読むのはこちらに来てクリスチャンとの交わりが少ないのでそれを補おうとして読んでいるのかなと思うことがある。ある意味で刺激が好奇心がそれを求めているのかもしれない。アウトサイダー的生き方をしているから信仰も然りである。はなから信仰的王道は求めていないというか歩めない。自己満足的なものかもしれない。ネットやブログで本の題名を見てきょうみあるのをアマゾンで注文している。大体中古だが新品同様或いは注文書が挟んであるのも多々ある。最近のには一円で中古は送料が250円かかるから実質251円の本を買った。

「憎しみ続ける苦しみから人生を取り戻した人々の物語」といういらい長いタイトルの本である。根に持つタイプのサルには興味のあるタイトルでもあった。巻末に説明があって「ブルーダーホフ(兄弟の場所の意)は国際的なキリスト教運動であり、質素、共同体生活、非暴力という生き方を実践している。初代のキリスト教徒たちや、歴史の中で確立した他の宗教運動のように、ブルーダーホフの会員は共同体としての所有を選択し、個人の所有権を放棄する。会員は現金や所持品だけでなく、時間や才能も自発的に分かち合う。神のへの献身、隣人や家族への愛、そしてイエスの教えに忠実であることが、規約の中心となっている。・・・」とある。このグループの中の証し集のようなものなのかなと思った。特殊な環境?においてのものなので割引して読んでも価値がある。サルにも経験があるが怒りや憎しみは生きる力の支えになるただ疲れるが。色々なパターンの赦しが書かれていた。肉親を殺した相手にも赦しを与えている。読んだ後よく理解できるがサルを含め多くのキリスト者には無理のような気がする。でも許しがなければ心の解決はないことも事実である。

長いといえば「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」というタイトルの本もタイトルに興味があって読んだ。雑学的な面も無きにしも非ずだが聖書学者との対談だからそれ以上のものがあった。聖書の裏話的な面もあって面白かった。こんなのを読むから正統派クリスチャンからは更に遠のいていく、まさに信仰的および物理的にである。しかし反省もない。こんなのが信仰的刺激を求める姿なのである。あぁ信仰の友よ、その霊感によって祈ってくれ・・・。