2014年4月3日木曜日

信仰雑感

今のところ朝起きると真面目に聖書を読んでいる。4章5章は当たり前10章も読むこともあるが勿論パスという日もある。誰だったか忘れたが「国の歴史は書かれた当時の為政者の都合のいいように書かれている」と、歴代誌を読み終えてフッとそのことを思い出した。歴代誌は列王記と同じようなことが書かれている。しかし少し違う。列王記はダビデ王家のありのままの姿が書かれているが歴代誌は全部ではないが王家の悪いことは端折っている。サウロ王家はチョッと、ダビデ王家が連綿と続く、勿論バテ・シェバも出てこないしソロモンの晩年の「その妻たちが彼の心を転じた。(1kgs:11: 3)」ことなどは何も触れていない。しかしながらそこに流れているのは神が主権者であることを一貫して語っているように見える。

以前から思っていたことであるがサウロ王の姿を見ると彼の弱さと自分がダブる。ペリシテ人を前にして兵は震えおののき、待つべきサムエルはちっとも来ない。ついに我慢が出来ずやってはいけない全焼のいけにえをささげる。アマレク人とそのすべてを滅ぼせと言われながら勿体なくてか価値のないものを滅ぼし価値のあるものを滅ぼせなかった。退けられていながら長老たちの前で体面をつくろうとするサウロは哀れである。ナタンではないが「あなたがその男です」と言われそう。勿論底辺で生きている者に頂点に立つことなどありえないが。

アサ王は「高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。1kgs:15:14)」と言われながらイスラエルの王バシャを恐れてアラムの王ベン・ハダデに助けを求めた。予見者ハナニは「あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。2chron:16: 7」と言われてしまった。平穏な時には主に感謝するが何かに直面するとこの世の物により頼もうとしてしまう自分がある。サウロ王、アサ王の弱さがダブるのである。サウル王はダビデ王のようにはなれないけれどしかしサウロ王も神に用いられた一人である。共感してもいいのではないかなと思っている。