聖霊 | 御霊 | 助け主 | |
マタイ | 5 | 6 | 0 |
マルコ | 4 | 2 | 0 |
ルカ | 11 | 4 | 0 |
ヨハネ | 3 | 15 | 6 |
福音書の聖霊、御霊、助け主の内訳をみるとこうなる。ヨハネの助け主は論外としても各福音書の聖霊と御霊の回数を見るとマタイは似たような比率でマルコ2:1、ルカは3:1でヨハネは1:5である。ルカ、ヨハネは比率がだいぶ違うし対比が逆である。面白いなと思った。それとヨハネは「御霊」が他の福音書よりダントツ多い。これも面白い。それに「助け主」が加わる。さらにである。
マタイ、マルコ、ルカの福音書を共観福音書と言われているが福音書の対照表を作ったのをみるとマタイとマルコはほとんど同じである。しかし、ルカ独特ののものも少なくない。また四福音書に書かれている事柄もある。バプテスマのヨハネの活動とイエス様の宣教活動開始、そしてエルサレム入城から十字架、復活とともに書かれてる。重要な出来事である故であろう。
聖書の注解書を読んでも読み切れないほど能力が無くなった。というより元々なかったのかもしれないがどちらでも現実はそういうことだ。
福音書をざっと読んでいて感じることは三福音書はイエス様の生涯を描かれているのは分かるがヨハネは同じようにイエス様の生涯を書いていながらキリスト後のキリスト者に向けて書かれているようなそんな感じを受ける。その最たるものかどうかは分からないが「助け主」が来られるという約束がそうである。極論だがもし救いだけが目的なら「助け主」はいらない。より主を神を知るにはこの方が必要である。聖歌632番(総合版)に、
なおもみめぐみをなをもみすくいを
なおもわがためにみうせし主をしらん
くりかえし
なおふかく主をなおふかく主を
なおもわがためにみうせし主をしらん
聖書を読んでもこのような告白はできない。まさに「助け主」の働きがなければ「イエスは主である」とさえ告白できない。「助け主」のお蔭で「イエスは主である」と告白できることを感謝して、聖歌の歌詞同様に深く主を知りたいものである。