2014年10月3日金曜日

冷めているのか

御岳山の災害をニュースで見ていると色々な思いが去来する。
まず感謝なことは危険な山に登り灰だらけになって救助活動をされている方々のご苦労と二次災害が起きていないことである。責任者はその決断で人の命を失うかもしれないと思うとその責は重いし大変だろうなと思う。大半の自衛隊員、イザ戦争となれば死地に向かうのである。それを為政者は強制しようとしている。それはあってはならないこと、それを防ぐのが為政者の務めではないのではないだろうか。

それとお天気が悪くなり、ガスも発生して危険になって救助活動を中断している時だったかその時かどうか忘れたがテレビに被災された方の家族かコメントしていたのが気になった。正確なことばは忘れたが早く救助してほしいようなことを言っていた。そこには身内の安否を気遣う思いがあっても命がけで救助活動をされている人たちに対する感謝と配慮を見ることはなかった。

亡くなられた方のことが痛まれて色々書かれているが犯罪を犯して刑に服している人たちがこの災害に会ったら天罰と納得するのか命を失うのにも色々な形がある。これが幸せこれが不幸死なんてない。精々亡くなった時にハレルヤというキリスト者位なものである。すべてではないが。

あらためなくとも地上では不変という言葉はあっても実在しない。たえず移り変わっていく、絶えず身の回りに危険がいっぱいなのである。だから今元気に生きていられること、生活が守られていることこれは奇蹟なのである。当然として受け取るものはない。たとえ働いてその報酬を得ても然りである。