2014年10月30日木曜日

移り変わり

最初に就職したのは和製タイプライターの製造会社だった。ワープロが出来ても役所などの書類はタイプライターで打たれたものでなければならなかったと記憶している。ワープロがだいぶ普及してからやっと変わりそしてパソコンにと移り変わった。あの頃の女子高校生の花形の職業はタイピストだった。そのような時代だから会社では商業高校あてに中古のタイプライターをリフォームして売っていた。一時期それを専門にやっていたこともあった。機械を組み立てるのは好きだったがTVの修理をやりたいために辞めて間もなく和製タイプライターは廃れ、今は博物館に行ってもない代物になった。どこかで壊れたタイプライターを見かけることがあるが汎用ではなくごく限られた職種に使われている代物である。

TVも東京オリンピックで爆発的に売れてそれ以降普及していったが当時はTVは高根の花だった。考証していないがあのころから日本の電機メーカーが大きくなってきたのではなかったかと思う。TVの少し前まではソニーや赤井のテープレコーダーが人気があった。特に赤井はアメリカにほとんど輸出していたのではなかったろうか。

TVを修理しながらナショナル(今のパナソニック)やその系統にあるビクターのTVは他のメーカーと違っていて回路図は同じでも真空管が違い、一本の真空管に二系統入っているので何となく複雑な感じがして苦手だった。後で分かったことだがナショナルはオランダのフィリップスから技術提携を受けて大きくなったと聞いている。だから真空管も他のメーカーと違うのである。サルが現役の頃ナショナルのシェーバーはフィリシェ-ブの名称で売っていた。ナショナルのシェーバーはフィリップスの刃をそのまま使っていたようで今のフィリップスのシェバ―の刃は昔のフィりシェーブの刃と外形は同じである。使いやすいので昔からそして今はフィリップス製を使っている。今、家電メーカーは四苦八苦の状態で昔の面影はない。かつて本家?をしのいだパナソニックも然りであり、今フィリップス製の製品がシェーバー以外でも見ることができる。正に栄枯盛衰、歴史は繰り返しているのか。

「アップル帝国の正体」なる本を読んでその恐ろしさを知る。アメリカの飛行機製造に日本の企業が深く関わっていることを知っていたがアップルが大半の部材は日本の企業製であることを知った。その貪欲さや緻密さに驚くとともに自社だけが儲けていく生き方に疑問を持った。昔ナショナルの真空管のパッケージの中に「共存共栄」の言葉が印刷されていた。会社と販売店とユーザーがともに利益を得るそのような意味である。多分松下幸之助の理念であろうし一市民としてはこのことに共感を得る。アップル製品は扱いないが利便性があっても使おうとも思わなくなった。驕っているのか貪欲なのかわからないが共に利益を得る姿勢のない会社は「驕る平家・・・」ではないが長くはないなと思った。当時、RCAやゼニスのTVの配線はハンダを使わず線を端子に絡めていて日本と違うなぁと変なところで感心したことがあったがその会社は今?アップルもその道をたどるような気がする。日本のメーカーもその道をたどっているようだがでもまだまだ望みがあるような気がする。というより期待したいと言った方が正しいかも。淡い期待であるかもしれないが日本という国はまた今と違った形で世界に羽ばたいていくような気がするし期待したい。日本という国はそんなことができる下地のある国であると思っている。