2014年11月1日土曜日

枯葉

木々は冬に備えて葉を落としていく、というよりも春に備えてと言った方が適切かもしれない。信州は夏は快適だが冬は寒い、自分の身も心も貧相なのが露呈されるようで直嫌だ。枯れ木のようになって生気のない木々、しかし考えてみれば厳しい寒さに耐え、春の日に芽をだし葉を広げて行く様を思い浮かべるとそのために枯れ木のような様が必要である。そんな風に考えると年とともに枯れて行く様を見ると春に備えてではなく再臨のキリストに会うためには必要なことのような気がする。そしてまだまだどころか肉が勢いよく生きている様を見ると木の足元にも及ばないことを教えられる。神よ、主よと叫ぶ前に神の造られた被造物に学ぶ必要がありそうだ。