2014年11月5日水曜日

距離をもって

最近でもないが聖書を読み、ある程度の内容がわかると「知識としての聖書」と捉えやすくなる。というほど知識があるわけではないが。

例えばコリント前書には教会の様子がそれもだいぶひどい状況が書かれている。コリントの教会はということはできるけど自分の適用ということをあまり考えない。よく考えてみれば不変なのは神だけではなく人もそうなのである。罪は悪のあらゆるものを生み出すという意味では人の心も、そして場所と時代も然りである。コリントの教会はひどい教会だ自分もよくないがあそこまではという思いが出てくる。イエス様は、
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。matt: 5:28
人を見るのに外面しか見ることができない。内面も精々ちょっと隙間を覗く位なものである。己などは外面は勿論のこと内面もほとんど知らない。全能の神は外面は勿論のこと内面もしっかりご存知である。だからコリントの教会はひどい教会だと言ってもいいが自分も然りであるという思いも持つべきであろう。聖霊の働きってこんなところに働かれるのではないだろうか。反省を込めて…。