2014年12月17日水曜日

141人死亡 至近距離で頭撃つ

イスラム過激派の痛ましい事件が続く、イスラム教の印象が悪くなるばかりである。3.11のときにイラン人の人たちが被災地に炊き出しに行って被災者に自国の料理をふるまった記事がネットで観た。彼らは困っている人を助けることはイスラムの教えですよと当然のように語っていたことを思い出す。

前にも書いたがアイルランド紛争のときにも日本人はカトリックとプロテスタントの宗教戦争と捉えていたがアイルランド出身の宣教師がこともなげに「あれは宗教戦争ではなく、ただの暴力です」とこのようなことを言われたことを思い出す。多分、イスラム過激派もそうではないだろうかと思う。イスラム教の信者にとってはいい迷惑なのだろう。

でも彼らを非難することは簡単だが70年前には日本も同じ事をしてきた。天皇陛下のためにと言いながら天皇が望んでもいないことを自国民に強いて、そして当然のように命まで奪っている。だから同じことをしてきた日本人には非難することはできない。そこに横たわっているのは貧困であり、そこからくる教育の欠如ではないだろうか。人間は罪びとであり、多くの失敗を繰り返しながら少しづつしか学ぶことができない。そこにはいのちの犠牲が伴っている。彼らが滅び新しいイスラムの世界が広がってゆくことを願う。

今キリスト教も多くの面で宗教にすぎないと思っている。イエスさまの教えに従って歩むこと以外にそれを否定する道が無いように思うがどうだろう。自分ははるか離れたところにいるような気がする。遠い道ではあるが一歩でも半歩でも近づきたい。しかし、努力で得るものではない。イエスさまの十字架と復活の上にあるのである。