2015年1月15日木曜日

正月もあけて、もう


流れに身を任せるような三が日も過ぎ,そして一週間も過ぎ、もう月の半ばに差し掛かっている。光陰矢の如しというと大袈裟だが正にその通りである。しかし物事を効率よくやることも大切かもしれないがこんな時があってもいいような気がする。野球では三割バッターなら優秀な選手である。でも十本のうち七本はダメだということでもある。人生三割で十分と自己弁護的になるが実は「一割にも満たないよ」と主に言われそうな雰囲気も無きにしも非ずでもある。「一割?そんなに・・・」と、もう一声かかりそうだがより現実に近いかなと気持ちは控えめに、しかし効率一辺倒は罪からくるものではないかなと思っている。なぜなら神は役にたたない者を選び、価値を見出してくださった。実際にキリスト者の中ではこのようなことが通用しているかといえば疑問であり、罪赦されているとはいっても罪の価値観の中にあるような気がしないでもない。
1cor: 1:28
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
rom: 3:24
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

人生に於いても一年という月日に於いてもこんなことがあるから次のステップを考えることができるのではないかなぁと思っている。正直もういいかと思うところと、もう一頑張りという思いが交錯している。勿論頑張ったってたかが知れているが自分の中での話である。まだ正月ボケが抜けていないなぁが実感。