2015年1月25日日曜日

召天式に

先日A姉妹の召天式が以前いた集会で行われるので家内と列席する。
家を9時前に出て、諏訪インターから高速に入り、談合坂で少し休憩し、石川パーキングエリアで軽く昼食をとる。以前寄った時は改装中でコンビニしか開いてなかったが今は広くはないが3軒の店が並んでいた。そこに吉野家があったので家内は気が進まなそうだったが不味い美味しいは別にして懐かしくて並み丼を注文する。そのあとコンビニで今流行りのコーヒーを飲みながらワッフルをかじる。少しくつろいでから世田谷へと向かう。駐車が心配だったが近くのコインパーキングが空いていたのでそこに止めることができた。

少し早かったが何人かの兄姉と挨拶を交わして二階に親族がいるというので伺い短く言葉を交わす。長い闘病と看病で大変だったろうなと思っていたがむしろからっとしていてご主人のH兄もそれほどでもなく安心した。クリスチャンの葬儀は一般の葬儀に比べて湿っぽくないので何となく心休まる。一般の葬儀では死はすべての終りだから悲しみ一杯だがクリスチャンの場合は新たなスタートであり、また会えるという気安さかどこかカラッとしているのだろう。しかし、連れ合いを失くされた寂しさを感じていくのだろうと思うと心が少し重くなった。主が慰めてくださることを心に祈り願いながら式場の三階へと向かう。

先週の土曜日は若い兄姉に会えたが今回は年配の姉妹たちに会うことができてうれしかった。このようなことがない限り会う機会がないのでA姉と主に感謝する。M兄のメッセージも何時も聞くのと違ってまたよかった。ノンクリちゃんの方にはどのように聞こえたか「死は終わりではなく新しいスタート」であることは大きい。型通りの式が終えて飾花になっていくつかの花を頂いて棺に入れたが痩せてふっくらした姉妹の面影はないのが残念だった。私もそんな遠くない日に会えると思うとふっくらした姉妹をそして心置きなく語り合おうと心の中でつぶやく、これで帰ろうかなと思ったが人も少なく誘われたので一緒に火葬場まで行くことにした。主だった兄弟たちがノンクリスチャンと話をしているのを見てさすがだなぁと思った。自分には出来にくいことだが励みになりました。

集会場に戻り、帰る段になってT姉が電車で帰るという。歩くのも覚束ないのに歩行器を持ってきたから大丈夫と言う。事実普段もあの体で出かけているらしい。あのバイタリティには驚き、そしてその行動にあきれてしまったが元気づけられるというより弱音を吐けなくなったのが残念である。東京に居たときはよくY姉と二人を一緒に送ったので昔取った杵柄ではないがじゃぁ帰りがけに送ろうと、そんなことを話をしていたら喪主のM姉が叔母を近くの駅まで送ってと言われ、連れの方と送ることにする。経堂駅も豪徳寺も夕方で通行止めで仕方なく梅ヶ丘に向かうが曲がるところをまっすぐに行って少し回り道をしてしまった。国士舘の脇に出て、以前は狭い道だったが今は梅ヶ丘の方まで広くまっすぐな道になっていた。暗くなっていたからよくわからなかったが大学も大きな建物になって様変わりしている様子、怪我の功名ではないが回り道してよかった。叔母と言われたI姉は召された妹さんでそれほど会っていないのに気さくな方で昔から色々親しく話しかけてくださる。この二人の肉親であり霊的な姉妹たちとはどこか気が合う。否、合わせてもらっている。この方たちは、飾らず本音をポンポン言うから楽しく尚且つうれしい。彼女もだいぶ足腰が弱っているようでお大事にと声をかけてお二人を梅ヶ丘の駅に下して、浜田山にと向かう。狭くて暗いので適当に走ったら世田谷線の松原駅に出た。そのまま線を横切るように走り、桜上水駅近くの水道道路に出て駅へ、甲州街道へ、その先をUターンしてやっと送り届けることができた。引っ越してもう送ることもできなくなったかと思っていたがどっこい送ることができ、I姉共々車中交わりができて感謝であった。こういう恵みもある。

そこから高井戸の環八に出る予定だったが狭い道でごちゃごちゃ走ったら高速下に出て、Uターンしながら高速の下を走り、久我山の駅の近くを通り東八道路に出る。勿論、適当に走っての話。東八のどこから曲がろうかと思案しながら走り、調布の先から甲州街道に出て、セルフのスタンドでガソリンを入れ、府中、国立と走り、立川、日野、そして豊田を過ぎて、バイバスのところで食事をし八王子から高速に入り、双葉で休憩し帰ってきた。以前だったら12時過ぎると半額になるのでそこまで粘ったが今3割なので12時近かったが我が家へ。明るかったら道に迷うこともなく、新しくできた道を通って色々脇道をしながら帰れたのに暗くて何となく通ってしまったのが残念であった。でももうこの道も通ることはないかと思っていた道々を通れたので気分はよかった。それに兄姉に会えてこれも大きな感謝、それに、あまり疲れもぜずに無事帰ることができて主に感謝する。残されたご家族の平安と主のお守りを祈りながら床に就く。