2015年2月5日木曜日

シクラメン再び

シクラメンと言えば「作詞・ 作曲小椋佳、唄布施明」を思い出すが我が家のシクラメンは歌ほどではない。しかしとてもデリケートな花であることは確かだ。
暮れに出窓に出しっぱなしておいたら朝にはしなびた状態で全部しおれてしまった。もうだめかなと思っていたら少しづつ元気になり、今はたくさんの花がシャッキとしている。家内がひもで結んだり、わたしが厚紙でリングを作り、お辞儀をしている茎を少し立てたりしていた。それに家内が休むときに新聞紙で覆っていた。そんなことをしてもと思ったがそれでもしなびることなく少しづつ元気になり自力で立てるようになってきた。今は寒さ厳しい時なのにどんどん元気になってくる。葉も何となくシャッキとして逞しくなってきている。このシクラメンの鉢の底の部分が水受けになっていてそこに水を補充するようになっている。何時だったか水が無くなっているのを知らないでそのままにしておいたら茎がお辞儀をしてしまい「ついにダメになったか」と思ったら家内が水が無くなっていると言って水を補充したらまた元気になった。それから水に注意するようになり、見ていると花の元気と水の減りが比例しているように最近減り方が激しくなったような気がする。大したものではないが他に五つばかりの鉢植えを置いている。枯れてもうだめかなと思っていたのが今小さな葉を出し始めた。そんなのを見ていると愛着が湧く、それらを見ながらシクラメンは元気で花もたくさん咲いて他と比べたらやはり一番かと思う。いつまで元気でいてくれるかと水の減り具合を気にしながらどのように変わっていくのか楽しみでもある。

オリヅルランの鉢を外に置いたときにコスモスの種が落ちたのかその鉢からコスモスの葉が二つばかり出てきた。コスモスは繁殖力が強くて、以前いた家の裏手に、狭いところに一面コスモスが生えて壮観だった。ただコスモスは茎が固くて処理に困った。そこにはかぼちゃの種を捨てたらこれも生えて来て横にいくらでも伸びるのは驚いた。そして小さかったがかぼちゃがいくつか取れて食べたがもう味の記憶はない。多分美味しくはなかったのだろう。まぁ植物を育てるには根気がいる。今年は畑をと言われているので少し心しなければと思うがどうなるか?そんなこと考えていると「花よりもお前の方が忍耐いるわぁ」と主に言われなと思ってしまいました。