2015年4月16日木曜日

マタイ20:26-27

matt 20:26-27
あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
「この日を主とともに」の4月14日に上記のみことばが引用されていた。初めてこの箇所を読んだときに自分は偉くも人の上に立ちたいとは思わないから(そんな器ではない)「仕える者にもしもべにもならん」と思ったときがあったことを思い出す。そしていつだったか「偉くなることも人の上に立つことも望まなくとも仕える者であり、しもべとなるべきだ」と思うようになった。そう思ってから久しいがまだまだ自分がしっかり生きている。

しかし、70代も半ばに差し掛かり、40代の厄年のように体に変化が起きている。あらゆる面で「老い」を感じるようになった。自分ができることは更に限定されるが「生きている機能」を少しでも用いて他者のために使えるならと思っている。「これしかできない」ではなく「これができる」という考えで行けたらなぁと願っている。実際的には少ないだろうが何もないということはないであろう。「生かされて生きる」ところに何かがあるだろう。老害という言葉もある。ある著名なお医者さんをこのように言われていることを聞いて世間では尊敬されていても自分が自分がという思いがあるようで身近に接する人たちにそう思う人もいるようだが割と当たっているのかもしれない。年寄りはこれに気をつけないと…。野球で言ったらセフティバントは自分も生きようとするからこれはいけない。確実に塁を進めなくてはいけない。確実に自分はアウトにならなければならない。