2015年4月11日土曜日

真の解放とは?

後藤敏夫氏の「週末に生きる神の民」の中に、出エジプトのイスラエルの民に四つの解放を与えられたと書いている。

1. 政治的解放
   外国の独裁的権力者による抑圧からの自由
2. 社会的解放
   社会生活における抑圧と干渉からの自由
3. 経済的解放
   奴隷としての強制労働からの自由
4. 宗教的解放
   異教の神々の領域から、誰にも妨げられないヤハウェ礼拝の自由へ。
   ヤハウェとの新しい契約関係へ。

と書いているが悲惨な奴隷の姿を思い浮かべるが華やかにスマートな現代人からは想像もつかない。しかし、中も外も好対照な奴隷の姿に今日の我々と違うのは外面だけであって後は皆同じような気がする。
一見民主的な政治形態の中にあるように見えるが、しかし、国民はスポイルされているような気がする。
社会的弱者は?
奴隷と今日のサラリーマンはどこが違うのだろうか。
日本においては異教の神々の中にいると云ってもいい。

今日の日本をそして世界を見ると一見このことは何ひとつ解放されていないように見える。
ヨハネ伝に、
john:16:33
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
しかし、敗北者のような経験をさせられている者にイエス様は、勝利宣言を過去形で語っている。どう理解すればいいのだろう。
フッと思った。家の骨格の出来上がった家のようなものではないだろうか。この骨格は主がなされたワタシがドウコウで崩れることはない。その上で完成を目指しているそんな姿を思い浮かべる。
既に出エジプトは成された。荒野の旅はイスラエルの民と何一つ変わらない。しかし、違いがある我らは天のカナンを目指している。