2015年4月7日火曜日

秋の朝ドラ「あさが来た」

何時だったかネットで検索していたら「波瑠さん、秋のNHK朝ドラのヒロインに、2015年秋の「あさが来た」」のタイトルとヒロイン白岡あさのモデル広岡浅子が目についた。波瑠さんなる女優?は知らないけれどヒロインのモデルとなった広岡浅子なる人物は少し知っている。もう半世紀も前に読んだ「捨身で生きる」(田崎健作著)の中に登場する。この方は牧師を引退されてその証しを本にされた。ーYMCA出版だから貰ったのかもしれないが定かではないー
教会建設のために募金をやっている頃のエピソードにこのようなことが書かれている。


 たまたま霊南坂教会で旧組合の総会があり、僕もこれに参加した。このときも、三日間の断食を続けていた。このときも、神学部長(同志社大学)の日野先生が同情し、広岡浅子姉に紹介してくださった。
 姉は三井家の長女として生まれ、やがて広岡家に嫁がれたが夫君はいわば富豪の道楽息子で、家運は斜陽の状態にあった。姉は妾をよんで、主人はあなたにあげる、私はこれから広岡家の挽回にかかると宣言し、みずから労働服に身をつつみ、炭鉱夫の間にまじって奮闘、その結果、ついに巳到の家運を復興し、隆々たる広岡家の前途を開かれたが、同時に精神的な寂寥と人生問題に悩み、大阪教会の宮川経輝牧師の門をたたき、先生より受洗されたとのことである。直接聞いたのでないから誤りがあるかもしれないが、しかし一世の女傑であったことは確かだ。僕はソンナことは知らない。会うと、「アー、また寄付ですか、私の顔を見ると寄付で…」と。
 僕は憤然として、「嫌な金なら大金でもご免こうむる。しかし喜んで捧げてくださるなら一銭だってもったいない」と言い放ったら、あなたはおもしろい青年だな、明朝、三井の本邸に九時ごろにおいでなさいという。
 三井とはドコですかというと、日野先生が、財閥の三井の本邸だ、広岡さんは当主のお姉さんだと説明された。これは言いすぎたと思ったが、取りかえしはつかぬ、明朝、約束の時間に出かけることにした。断食をつづけながら…」

 翌朝は大風雨で洋傘は風で折れ、高下駄の緒は切れ、ヨーカン色の木綿の紋付は雨にぬれ、あわれな姿で小石川にあった三井の本邸を訪れた。
 あまりに大きな玄関にヘキヘキして第二の玄関に来たが、これも大したものだ。トウトウ第三の女中さんたちの出入りする玄関に立って来意を告げた。
 モーニングの執事が、折れた傘と緒の切れた高下駄をぶら下げた貧弱な青年を見下して、すこぶるおおへいな態度である。実は僕も背中に冷汗をかいているのだ。やがて広岡浅子姉が現われて、その執事に、「先生のおさしものとおはき物をお受け取り、大玄関におすすぎを」と、鶴の一声、大玄関には黒塗りのタライだ。恐縮しながら足を洗って、応接間に通された。黒塗りのタライで足を洗ったことはまったくアルファなりオメガなりである。
 やがて広岡姉は「あなた牧師になるつもりか」と質問された。むろん、しかりである。姉は「なぜ大玄関から入らなかったか」―「あまり大きいので、というと「第二の玄関も同様でしたか、三井の玄関が恐ろしいのなら牧師は断念なさい。上っ方であろうと、貴族であろうと金持であろうと、そういう社会であればあるほど心の悩みは深刻なものです。私がなぜ基督教の信仰にはいったか考えてみてください。名誉や地位や財産では解決しきれぬ心の悩みに対してこそ、あなたがた牧者、伝道者の使命があるのではないのですか。心を強くして立ち上がりなさい」と眼に涙すらたたえて激励してくださった。
 そして、寄付金の半額を引き受け、さらに「全部さしあげてよいのだが、それはあなたのためにならん、苦労して募金なさい。そのうえなお不足があったらおいでください。だが決してオズオズしないように。大胆に確信をもって募金なさい」。
 僕は涙があふれてとめどなかった。感激の礼とともに辞去し、爾来親交を深くした。

それからもう一つのエピソードが書かれてある。

 当時は、大挙伝道時代であって、信徒も植村、海老名、宮川、山室など、そうそうたる牧師の間に伍して伝道戦線の第一線に立ったものである。広岡浅子女史もなかなか活躍されたが、女が洋服を着ているという話から、地方の劇場での伝道講演会で、聴衆が牧野虎次先生(同志社大学学長を務めた)を広岡浅子女史とまちがったという笑い話があった。牧野先生は容貌、一見女のようで、その声も一オクターブ高く、感きわまると説教中よく涙を流して泣かれる。
 「ソコデソノ」という接続詞を涙ととも連発する癖がある。僕らはこれを、「ソコデソノ涙にくれて虎の巻」と野次ったものだ。顔はまったっく女形だし、声は一オクターブ高いソプラノだし、しきりと泣く。洋服は着ているし、これはテッキリ広岡浅子という婦人だろうと決定版になってしまった。ところが、そのあとに広岡女史が堂々たる身体で演壇に現われた。英語も使うし、ゼスチァーもやるし、音量もある。これが牧野虎次先生だろう。しかし、この牧野虎次先生は髪を結っている。先の断髪だ、あとのは結髪だ、会衆は判断に迷ったというのだ、これは半分、嘘としてもありそうな話である。


なぜこんなことを書いたかというとモデルは広岡浅子、彼女はキリスト者だからである。不思議とNHKのドラマにキリスト者がよく出場する。どういうことなのだろうかと思ってしまう。アベシンパの現会長が知ったらハラワタが煮えくり返らないだろうかと心配している。それとワタシのようなノンポリクリスチャンが多いからノンクリスチャンが頑張っているのかなと思ったりもしている。こんな調子じゃ天国に宝なんて夢のまた夢だなぁ。それと八重もそうだが役者が美人すぎる。モデルにぴったりでないと、そうすれば多くの若き女性は自信を持つだろになぁ。