2015年5月13日水曜日

馬医

韓国ドラマは「トンイ」がαでありΩであるはずだったのが「馬医」でまたはまってしまった。きっかけは何かで検索して監督が同じだったのか同じ時代であったのか定かでないがそれで「馬医」なんて変なタイトルのドラマだなぁと思いながら検索してはまってしまったのである。賤民の出身の馬医(獣医)から王室の主治医になる実在の人をモデルにしたドラマである。

今回は50話、そして一話たっぷり一時間、それに二回観てしまったから100時間、このためにしっかりPCとにらめっこしてしまった。観続けて窓が明るくなってきたので慌てて寝たことが二回ばかりあった。「トンイ」同様に「クヮントン?橋」での行き違いや再会を観ていると数寄屋橋での「君の名は」を思い出し、馬小屋で生きかえったとか罪とか悔い改めとかを聞くと福音書を思い出してしまった。

何がそんなにと問われたら明確な答えはない。馬や人の治療のシーンも少なくなかったから専門家から見たら異論があるだろうなと思いながらも若い二人の数奇な運命の巡り会わせを通して結ばれていく、そして起伏に富んだドラマの展開があり、登場した俳優陣の顔にも癖がなかった?所為もあったのかもしれない。ドラマの展開が昔の日本映画のパターンに似ているような気がする。「君の名は」的なのである。

昔の映画館はロードショー館、封切館、三番館と言われるものがあって場末の三番館は歩いていける距離にあった。三番館は三本百円と安く、入れ替えもなかったからお金のない休みの日などは朝から出かけて見終わったら少し寝て夕方帰って来るということをよくやっていた。特に夏は冷房が効いているから定番になっていたような気がする。

真っ暗な場内でスクリーンの映像を見ながら自分もその中に入っていく錯覚に陥る。現実の世界から非現実の世界に入っていくのである。今はあまり映画を見ないが映画は現実逃避へといざなう。どうも今回はそれに近いものもあったのかなと思った。「トンイ」はまた観たいとは思わないが「馬医」また少しづつでも見てもいいかな(既に断片的に観ている)と思うのはこのドラマが非現実の世界へと誘うからだろうかなと思わされている。ある意味で現実逃避、尚且つミーハー的なのである。